2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.8.22

Translate

2023.8.22

朝から、引越しのパッキングを進める。すると早速、聖子ちゃんとパッキング方法について言い合いになる。ぼくは、実際に箱に詰め込むまでの準備時間がかなり長いので、彼女はそれに対してイライラしているようで、もっとパッパッとできないのかと言われる。
例えば、本の梱包についても、文庫本ならまだしも、家にある写真集などの多くはサイズがバラバラで梱包しにくい。だから、ぼくは一度全てを本棚から取り出しサイズごとに並べ直して、包もうとして本をどさっと並べていたのだが、聖子ちゃんは、発送後に箱から出さなくてもいいように、大切さだとか、その本を見る頻度によって梱包したいのだという。確かに、そのほうがきっといいのだろうと納得するも、自分のやり方も箱に梱包するときにスペースができなかったり、きちっと詰めれたりするので、別に悪いことじゃないと思うんだけれどなと思うが、そういういちいちやり直すみたいな無駄な作業が嫌いなのだ。
ぼくと彼女は、お互いのプロセスの嗜好は、一生分かり合えないなと思う。しかし、「分かり合えない」ことが、それだからダメということではなく、「分かり合えない」ものがどのように共生、共存するのかということにぼくはとても興味がある。「分かり合えない」をネガティブに捉えているようではまだまだ忍耐と思考の丁寧さが不足していて、「分かり合えない」ものが分かり合おうとするのではなく、どんな風にお互いの存在を否定せずに共に建設的な存在でいれるかを考えるのがぼくは好きだし、そんな風に考えている世の中の多くは我慢が出来ずに崩壊しているだけのものが多い。辛くてもそれでも人間らしい忍耐と知性を持ってその「分かり合えない」ことにどう対峙するのかを思考する。戦争だって、忍耐と思考の丁寧さが不足した結果ではないだろうか。夕方、少し寝る。昨日から憧れた念願の昼寝。起きると、既に聖子ちゃんが友達と食事に行っていた。
ステラの散歩に行き、八百屋で万願寺とうがらしと枝豆を買う。夜は、そうめんを食べる。茗荷刻み、生姜をすりおろす。茄子と万願寺とうがらしの揚げ浸し。
ライナー・ヴェルナー・ファスビンター監督『第三世代』を観る。途中で聖子ちゃんが帰ってきた。
時間に焦ることなく日々を過ごしていると、一つ一つの行為に余裕が生まれ、時間の膨らみというか豊かさを感じるようになった。ステラの散歩も1時間と決めて歩くよりは、今日はこっちのルート行ってみようか、やっぱりこのルートは暑いから、日陰の多いこちらを歩こうとかそんな風に散歩することができる。そうやって、色々考えながら歩いていると、結局1時間なんてとうに過ぎてしまう。時間に焦らずに日々を過ごすと、行為に具体的で本質的な理由が付随しているように思う。犬の散歩の本質は、何か。運動でも、トイレでも、義務でもなく、それは犬とのコミュニケーションなのである。だから、人の気分と犬の気分によってルートや歩くスピード、方向も違うべきかなと思う。
時間に余裕があると、「嫌だけどやる」という言い訳も存在しないように感じた。