2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2023.8.21

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2023.8.21

昨日で、DSMの仕事が終わった。これからは、フリーランスとして一人で仕事をして生きていくんだなと気合が入る。ずっとぼくはこの時間を待ち望んでいたのだ。そう、あのワイルドな荒野に裸で野放しにされるような、隠せないことへのある種の諦めとか、貧弱さを受け入れることだとか、そんな感覚をぼくはこの6年間失っていたのである。どれだけ貧弱でも猫背でもどれだけ足が短くても、それを諦めて、その事実を受け入れて堂々と荒野に二本の足を突き刺すように立っていたい。ぼくは、自分のものでもないDSMというある種の幻想の鎧を身にまとい、自分の貧弱さや猫背を隠しながら生きてきた。時にそのDSMという幻想の鎧は、ぼく自身を守り、ゆっくりとした成長を見守ってくれた。しかし、ぼくが、人生が与えてくれるものの全てを受け取ろうと本当に挑戦するのであれば、そんな日々との決別は免れなかったのである。だから、DSMという幻想の鎧を脱ぎ捨て、裸で荒野へ飛び出したのだ。
さて、今日ぼくはフリーランスという荒野に野放しにされた。いや、自発的に自分自身を誰に言われるでもなく荒野に放った。だからと言って、何か突発的に始めたいわけではない。焦りもない。そして、もちろんフリーの仕事がとても忙しいというわけはない。まずは、現実に目の前にあることから始めるしかないのである。それは、昼にそうめんを食べたり、引越しのためのパッキングだったり、掃除だったり、フリーランスで仕事をするということとはかけ離れたようなことばかりである。そんな荒野の日常は、常にぼくに襲いかかる。
そういうことで、今日のお昼は、聖子ちゃんが昼前に出かけたので、とりあえずお昼にそうめんを食べた。パソコンに入った写真とネガの整理と、この日記の今年に入って更新できていない分の更新をやらないといけないと思い続けていたので、やっと時間があるので手始めに進めたいと思う。それに、数年前にbuikのカナさんに紹介してもらったスウェーデンのイラストレーターAndreasから写真の依頼が来ているし、友人の山下くんからの写真の依頼もまだきちんと返事ができていない。YYY PRESSの米山さんに、「選り好んで、仕事断ってばかりいると本当に仕事来なくなるよ」と言われたことが頭の片隅に残っている。
引越しに向けて、大量の荷物のパッキングを始めなければいけない。東京での生活もあと2週間ほどしか残っていないので、あれもこれも、あの人にもこの人にも、と連絡をしていると予定も詰まってしまった。それでも容赦無くさらに日常生活はぼくに襲いかかる。ステラの散歩である。今日からは、この日記を毎日更新しようと意気込んでいるのだが、そうなるとなんだか気持ちよく文章なんて書けやしない。それでもそんな中で気持ちよく書くことを求めることがフリーランスの楽しみだ。
夜は、カナさん家でディナー。この家に来るのももう最後。17時半にお邪魔したのに、気付けば終電だった。途中、ものすごい眠気が襲ってきたので一瞬寝てかもしれない。
最近、関西弁で話す機会が多いせいか、もしくは会社の先輩方に気を遣うような環境が減ったせいか話すのがどんどん楽しくなってきた。話すことで身体の筋肉の動きも内臓の動きも全て整うと思っている。一つの行為が正常に機能すると付随して他も正常に機能する。それはぼくの理論だ。フリーランスには、健康が必要だ、健康は話すことから始まる。自分の言葉を発する、そして紡ぐことだ。声として発することで身体も整っていく。文章を打ち込むことで身体がリズムを刻みはじめる。
家に帰ると、ソウルの書店THE PRASEから本の取り扱い希望のメールが届いていた。やっぱりフリーランス、幸先がいい。