先週くらいから突然空気が変わった。「寒い」という感じではなく「冷たい」という表現がしっくりくるような皮膚に差し込むような空気になった。
朝、ステラと散歩に行く。ここのところ毎朝、公園の砂場でステラとレスリングをしている。調子がいい時は、腕を噛んでぐいぐい引っ張ってくるのだが、今日は調子が良さそうでぐいぐいと洋服が破れんばかりに引っ張られる。ぼくのフーディもそろそろダメになりそうだ。遊びたくて仕方ないのだろう。
朝、ステラと散歩に行く。ここのところ毎朝、公園の砂場でステラとレスリングをしている。調子がいい時は、腕を噛んでぐいぐい引っ張ってくるのだが、今日は調子が良さそうでぐいぐいと洋服が破れんばかりに引っ張られる。ぼくのフーディもそろそろダメになりそうだ。遊びたくて仕方ないのだろう。
童謡に「雪やこんこ あられやこんこ 〜 犬は喜び 庭かけまわり 猫はこたつで丸くなる」とあるように、昔から犬は寒い日に庭で元気にするのが好きなのだろう。特に寒い日は、外で遊びたいのだ。
もしくは、人間が寒い日は猫のようにこたつでぬくぬくしていたいという感情があるから、犬がいつもと同じように遊んでほしいと喜んでいるのが、人間の感情とのギャップでより一層人間からすると犬は元気で喜んでいるように見えるのだろうか。童謡の中には、対義語を使った比喩を感じるが、実際その構図は世の中にきちんと存在している。言語による対義語ではなく、犬は喜んで庭を駆け回ることと、猫がこたつで丸くなっていることは事実に基づく対義である。犬と猫はなんとなく対義語と思ってしまうが、実際はそうではない。言語やイメージによる対義だ。そう考えると世の中の多くはなんとなく比較対象として対義にしているだけのものが多いように感じる。
ちなみにこの童謡のタイトルは『雪』というらしい。
ちなみにこの童謡のタイトルは『雪』というらしい。