9時から練馬の弘明堂へ。同じく弘明堂に通っている同僚から坂井先生が亡くなったこと聞いていたのだが、それを信じたくないので来るのを避けていた。しかし、一方で事実を自分自身で確認したいと思い、ついにくる決心がついた。エレベーターに乗ると、いつものももくさの香りがなく、それが朝早くの来店だったので、まだそこまで香りが充満していないのか、もしくは坂井先生がいなくなったことが起因しているのか、もしくはぼくがいろいろなことを勘ぐりすぎて異様に敏感すぎたのかはわからないけれど、いつもよりも香りを感じられない。あのしゃがれ声とクシャクチャの顔で、施術ベッドのそばから入口を横目でちらっと見て「おはようございます」と言う先生がいるのではないかと期待したが、やはりその姿はなく、変わりに白衣を着た坂井先生が黒いフレームの中で笑顔を見せてくれていた。その瞬間、うっと感じるものがあったが、副院長先生の笑顔で抜けるような挨拶があり、その気持ちが一気に抜け去った。夏の日の抜けた青空のような虚構を感じさせるくらいの気持ち良い挨拶を受け、その瞬間に、ここにはもう新しい風が明るい方向に向かって吹き始めているのだ、過去の気持ちよかった風に想いを馳せているのはここにいる人間の中ではぼく一人かもしれないと思わされた。もうすこしここに通ってみようと思わせてくれるような人たちがいる。ある魂を持った人が作り上げた世界というのは、物質的にだけではなく、精神性や、感情など見えないものにきちんと宿っている。それは他者の中でも生き続ける。
治療後、西武新宿駅のセガフレードで一服し、新宿を徘徊。
夜、餃子を作っていると、聖子ちゃんと喧嘩になる。彼女は、何も言わずに突然キレる。
食べるということに対してのモチベーションが違うのだろう。ぼくは、一品だけという料理を好まず、彼女は、お腹もそこまで空いていないので焼き餃子だけを食べれればいいと思っている。ぼくは、どんな時でも色々な種類を少しずつ食べることを圧倒的に好むので、こういう時には時間がかかることを嫌う人との相性は非常に悪い。ぼくは、我慢してでもゆっくり作りたいと思っているのに、彼女は出来るだけ早く作り終えて食べてしまいたいと思っている。ぼくは仕事で家におらず、家で料理をする機会がないので、家で料理ができそうな時は料理をしたいのだが、彼女はいつも家で仕事をしているので、毎日家で料理をしている。そして、多くの場合ぼくの夕飯も用意してくれる。それに関しては文句は全くない。ぼくだって料理する時間、掃除する時間がないと精神的におかしくなってしまうのである。寝る時間と同様にぼくにとっては自分のことを自分でするという時間が同じように必要としている。自分の食べるものを自分で買いに行くこと、料理をすること、家の掃除をすること、気分や季節に合わせて模様替えすること、自分の洗濯物を洗うこと、ぼくはそのようなことをしないと気が済まないのである。しない時間が長くなればなるほど自分が自分の生活をしているように感じられなくなり、そして自分の思うような状況にない場所で生活を続けることにどんどんとイライラしてくるのである。
とにかくイライラして家にいれないので、餃子もあほらしくて作るのと途中で放り投げ、家の近くの味の悪くないインド料理屋へ行く。そこにはテレビがあり、テレビの中でお笑い芸人と2流女優は、こちらの状況に配慮もせずに笑いながらぼくたち視聴者に話している。いつも大体においてテレビの品位のなさや、情報量の多さ、目まぐるしく移り変わるシーンにうんざりしてしまうのだが、今日のような日には、そのくらいの配慮がないくらいが丁度良いかなと思い、ここのインド料理屋へ来た。そこで、偶然POSTのテランくんに会い、少し話す。最近引っ越してきたのは知っていたが、初めて会った。
その後、駅前のカフェで大江健三郎『日常生活の冒険』読み進める。斎木犀吉がどんどんとトリックスター感を出してきて、いい感じである。道化だ。
夜、餃子を作っていると、聖子ちゃんと喧嘩になる。彼女は、何も言わずに突然キレる。
食べるということに対してのモチベーションが違うのだろう。ぼくは、一品だけという料理を好まず、彼女は、お腹もそこまで空いていないので焼き餃子だけを食べれればいいと思っている。ぼくは、どんな時でも色々な種類を少しずつ食べることを圧倒的に好むので、こういう時には時間がかかることを嫌う人との相性は非常に悪い。ぼくは、我慢してでもゆっくり作りたいと思っているのに、彼女は出来るだけ早く作り終えて食べてしまいたいと思っている。ぼくは仕事で家におらず、家で料理をする機会がないので、家で料理ができそうな時は料理をしたいのだが、彼女はいつも家で仕事をしているので、毎日家で料理をしている。そして、多くの場合ぼくの夕飯も用意してくれる。それに関しては文句は全くない。ぼくだって料理する時間、掃除する時間がないと精神的におかしくなってしまうのである。寝る時間と同様にぼくにとっては自分のことを自分でするという時間が同じように必要としている。自分の食べるものを自分で買いに行くこと、料理をすること、家の掃除をすること、気分や季節に合わせて模様替えすること、自分の洗濯物を洗うこと、ぼくはそのようなことをしないと気が済まないのである。しない時間が長くなればなるほど自分が自分の生活をしているように感じられなくなり、そして自分の思うような状況にない場所で生活を続けることにどんどんとイライラしてくるのである。
とにかくイライラして家にいれないので、餃子もあほらしくて作るのと途中で放り投げ、家の近くの味の悪くないインド料理屋へ行く。そこにはテレビがあり、テレビの中でお笑い芸人と2流女優は、こちらの状況に配慮もせずに笑いながらぼくたち視聴者に話している。いつも大体においてテレビの品位のなさや、情報量の多さ、目まぐるしく移り変わるシーンにうんざりしてしまうのだが、今日のような日には、そのくらいの配慮がないくらいが丁度良いかなと思い、ここのインド料理屋へ来た。そこで、偶然POSTのテランくんに会い、少し話す。最近引っ越してきたのは知っていたが、初めて会った。
その後、駅前のカフェで大江健三郎『日常生活の冒険』読み進める。斎木犀吉がどんどんとトリックスター感を出してきて、いい感じである。道化だ。