2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.9.19

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2022.9.19

大江健三郎『ピンチランナー調書』を読み始める。
聖子ちゃんが何もなかったかのように予定通り帰宅。「少しはゆっくりできた?」と一言言われたが、声を失うとはこういう感覚なんだなと思ったし、同時に、聖子ちゃんの照れ屋の一面を垣間見たようで、いつも通りの聖子ちゃんで安心。
昼食を一緒に食べる。
昔のようには戻れない。もちろん、過去の栄光にすがり、あの頃思い描いていたものに向かっていくこともできない。それは、大きくも小さくも誰一人として昔のようには戻れない、いや戻るべきではないのだ。今という時は平然と存在し、未来へ向かって歩むしか道を与えてはくれない。過去の、あの頃のよかったもの(それは良かったと思えているもの)に尾を引かれながら、それでも新しい希望をつくること、そして現状を変革することができるのが人間なのである。もし機械であればそれ自身で過去の華やかな栄光を捨て、過去に決めた目標も捨て、新たに未来を決めてそれに根拠もなく希望を感じ、現状を変革することができないのである。人間はそれができる、過去に見ていたあの素敵な未来と今が決して違ったとしても、その今ある時を受け入れ、そしてそれを明るい希望を持って耐え凌ぎ、未来への歩を進める。少なくともそれが人から見て辛そうでも、自分自身が困難に感じても、実際にとても大変でもぼくはその絶望的な気分の中でも一筋の輝く光を見つけ出し、それに希望を感じ、進んでいくのである。ぼくは、とてもポジティブである、絶望を感じながらもそれを放棄しない。必ずニューフロンティアとでもいうべき場所へ行きつく。その過程がどれだけ困難であろうとも放棄せず、どれだけ辛くとも逃げるように決断せず、それがどれだけ自分にとって不幸だと他人が言おうとも、自分はそこに希望を見出し、その過程を進むこと、プロセスにある種の光のような、温かみを感じることを喜びとしたいのである。