2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.9.17

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2022.9.17

聖子ちゃんがいない、Stellaもいないので、自分の時間があるかと思うのだが、決してそうではなく、大体において突然できた自分の時間というのは、自分の欲望が溢れすぎて計画がオーバーフロウしてくるのだ。力を入れて勢いをつけて投げられたこまのように、大体うまく回らない。程よい力で力まずに、自然体で投げてみるとすごく上手くいく。ぼくの今日の計画と過ごし方は完全に力を入れて勢いよく投げられたこまのようで、安定せずに失速した。
「気分転換を兼ねて誰かと遊ぶ」とか、「一人で好みのレストランに行く」とかではなく、「自分が今やるべきはやはり制作だ!」と思い、黙々とパソコンに向かう。思いついていたものがやっと進む。大体、制作するときには、自分の日記を読み返していて、今日も自分の日記を読み返していると、今日が2019年にコペンハーゲンに行った日だったようだ。あの時も辛い気持ちだった。あれから長い月日が経った。人生はこんなに苦しいものかと思ったけれど、あれから角度は変わってまた自分自身で首を絞めてしまったようだ。だけれど、悪い出来事を一撃で対処するなんてことはできず、一つずつ解決するしかないのである。みんなスーパーヒーローを求めるようなった。ゴッドハンドを求めるようになった。しかし、実態は、そんな簡単に物事を好転させることなんてできない。
コップに溜まった無色透明の水に一滴の黒いインクを垂らす。その瞬間に、無色透明は黒を帯びる。どんどんとインクを垂らすとどんどんといとも簡単にその水は濁っていく。しかし、一方で、それを無色透明に戻すのはとても大変である。どれだけ水をすくっても無色透明には近づかない。すくって同時に、新しい透明な水をたくさん注ぎ入れるのだ。
もしあなたの人生に黒いインクで濁ってしまった水があるのであれば、すくいながら、新しい綺麗な水をそこに注がなければならない。
制作と作品の発表は、綺麗な水をそこに注ぐことととても感覚は近い。