2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.8.5

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2022.8.5

毎朝ランニングをしている。走っていると、いろいろなことを考えているのだが、今日は、ふと、ある先輩に憧れて走り方を真似していた同級生のことを思い出した。あの先輩はこんな走り方をしていたとか、それに憧れてこんな風に走ってみるとかプレーしてみるということが多かったが、今考えるとそれさえもが自分の癖となってしまっていて、良いものを見とけばよかったと思う。大人になってから身体の癖をとるのは難しい、うまく付き合っていくしかない。
結局、癖とかというのは10代のうちにある程度完成してしまっていて、ぼくの中にも10代に見ていたものが自分の後押しをしてくれたり、それに躓かされたり、時に首を締められたりする。小さい頃の記憶にはよくこびりつく。それは、カッコいいなとかイケてるなと思うものが多かったからだろうか。あの頃の衝撃がいまだに忘れられないみたいなことっていまだにある。
それから、今日はハートマークはいつから愛の象徴となったのだろうかとも考えていた。一説によると日本には修道士フランシスコ・ザビエルが持ち込んだと言われており、フランシスコ・ザビエルの腕にはハートマークのタトゥーがあったのだという。それが日本にとっては最初のハートマークらしい。本当なのかな。それ以前の愛というものを表す絵というものはなんだったのだろうか。そもそも愛というものが日本人の概念には存在しないとか。夏目漱石が英語教師をしていた頃に、「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子に対し、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですね、とでも訳しておけば足りる」と言った、という話である。宗教観が違うとモノの価値や存在すらをも認めることができないということだろう。