2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.8.3

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2022.8.3

最近、日々何気なく過ごしていると「これを日記に書こう」とか思うことが増えたのだけれど、大体においてそれをメモするのを忘れてしまう、もしくはお風呂とかトイレとかメモできない状況にいる時にアイデアが思いつくのでメモできずにいる。そして、今何か書こうとした大事な気づきがあったんだよなと思っても、結局思い出せない。記憶の断片を辿って、その時にしていた行動を脳の皺を一本一本舐めるように思い出してみても、その瞬間の思考にまで到達することができないことが大半である。
これって、思考のトレーニングでなんとかその時にあった感覚まで戻り到達することができるのか、もしくは思考のトレーニングとかではどうにかなるようなものではなく、とにかくその瞬間あったことを頭の中から紙でもなにかに記録しておくということが大切なのだろうか。メモで全てを思い出せるわけではないのだが、そのメモを読むと香りとか素材感とか、その時にそこにあったものが一気に今に戻ってきて立体感を持って立ち上がるようなことがよくある。
例えば、なぜかベトナム料理に入っているミントを食べると、突然ホーチミンではなくメルボルンのことを思い出したりする。それもメモと同じようなもので、その何かが記憶の断片に長年こびりついた歯石のように硬く抱きついている。