2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.8.15

Translate

2022.8.15

 朝6時15分に起床し、ランニング。Stellaがいないが、一人だからと言って走らない理由がない。久しぶりのランニングだったので、多摩川の河川敷から対岸に渡り約30分ほど軽く走る。最初は、「あれ、こんなに走れなかったっけ」と思っていたのだが、走っていると身体が思い出したのか軽快に走れるようになった。
1974年、今はなきニューヨークの世界貿易センタービルの2棟の屋上を綱のロープで結び、高さ約400メートルの空中で綱渡りを敢行したフィリップ・プティ。 不法侵入罪で逮捕されるが、ニューヨークの子供たちに芸を披露することを条件に無罪放免となったそうだ。また、フランスのスパイダーマンことアラン・ロベールは、無許可で世界中の超高層ビルを登り、フィリップ・プティ同様に不法侵入罪で逮捕されるのだが、大使館などのサポートを受け、釈放される。また、ある団体からは「ぜひうちのビルにも登ってください」と招待されていたり、冒険者に送られるアワードを受賞していたり、目立った功績を残している。一見、矛盾しているように感じるが、それがぼくたちの世の中の構造なのであろう。法律に触れるから逮捕されるわけであるが、それが人に迷惑をかけるものではないむしろ人を興奮させ、白ごはんに乗せられた真っ赤な梅干しのように憂鬱な日々の一つの希望となるのである。また、一方である種の挑戦への賞賛としてその行為に対してリプライする人たちがいる。それらは、犯罪芸術と呼ばれるそうだ。きっと、犯罪しているのに人気者みたいな構造っていうのはルパン三世とか、ジャン=リュック・ゴダールの映画内のジャン・ポール・ベルモントとか、それらともにているのだろう。
夜は、シアター・イメージフォーラムでバーバラ・ローデン監督『WANDA』を鑑賞。
「1970年ヴェネツィア国際映画祭最優秀外国映画賞を受賞するが、その名声とは裏腹にアメリカ本国ではほぼ黙殺される。フランスの小説家・監督のマルグリット・デュラスはこの映画を「奇跡」と絶賛し、配給することを夢見ていると語る。デュラスの夢を実現すべくフランスの大女優イザベル・ユペールは配給権を取得しフランスで甦らせた。マーティン・スコセッシ監督設立の映画保存組織とイタリアのファッションブランドGUCCIの支援を受けプリントが修復される。その後、ニューヨーク近代美術館で実施された修復版上映会は、行列が出来るほどの大成功を収めた。本作の熱烈な支持者であると公言するソフィア・コッポラ監督が自ら作品を紹介、観客の中にはマドンナの姿もあったという。」(オフィシャル・サイトより引用)
この文章は誰が考えたのだろうか、マルグリット・デュラス、イザベル・ユペール、マーティンスコセッシ、GUCCI、ニューヨーク近代美術館、ソフィア・コッポラ、マドンナ、、、なんだか鑑賞前からこのイントロダクションを読み少しげんなりしてしまった。
映画自体も、ワンダ自身が執着することもなく、風のように飄々と酒をご馳走してくれる男性と行動を共にし、捨てられればまた次の酒をご馳走してくれる男と行動をする、そんなロードムービであるが、そこには女性監督、主演としての視点で、男からの要求が多くみられ、消費的な思考、女性に従順さを求め、女性は咎め立てないものとするような男性嗜好が明確に語られている。
見終わった時には、ロードムービーだなという印象を受けたまでだったが、その後渋谷まで歩き東横線で家に向かっている車内で、スーツを着た男性が共にいる女性を無視するようにiphoneを触っているのを見て、女性がみる男性というのは悪党のような身勝手な存在なのかもしれないと感じさせられたのである。