2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.8.10

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2022.8.10

おじいちゃんのお墓参りへ。家族と岐阜で合流。さっきまで一緒にいたかのように「おっ!」という簡単な挨拶だけして墓を磨く。久しぶりに会ったのに、あれこれ話さず普通の話しかしなかった。それがいいとか悪いとかではなく、友達とかではなく、家族だなと思った。弘明堂の坂井先生にも墓参りには行きなさいと言われていたので、3年ぶり?の墓参りに来れてよかった。色々報告しないといけないことがたくさんあったので、やっと報告できたような気分。なんだか安心した。昼は、川床のようなお店で鮎を食べる。いつもなら谷汲山の旅館で、鮎やうなぎを食べるのだが、Stellaがいるということで、初めていくお店になった。悪くはないが、やっぱりぼくにとってはお盆休みの食事は旅館である。
岐阜市内から飛騨高山までの途中でロッジに泊まる。今夜もずっと車を運転しないといけないという不安からかなかなか気分が晴れない。ミッションをこなすような休みはちょっと辛いなと思う一方で、こういう時には親という頼れる存在がどれだけ助けになるかを心から感じている。自分が家族の主になっていくということに頭は進もうとしているのだが、心や身体がどうもついてきていないなと思う日々である。それが一つ人間として成長する過程において、まだ身体も心も追いついていないのか、それは身体が進めば追いついてくるものか、もしくは心のもちようか。