2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.7

Translate

2022.7.7

昨晩、26時ごろまで寝れなかったので、朝起きられず。一度、6時前に目が覚めて、Stellaがケージの中でぐるぐると歩き回りながらバタバタと身体を動かしているのが聞こえたのだけれど、眠さに打ち勝てず、Stellaに申し訳ない気持ちを持ちながら、もう一眠りしようと思い目を閉じた。7時にある力を振り絞ってベッドを出て、Stellaの散歩に行こうと思ったが、出遅れたせいだろう、彼女はなんだか拗ねたようで、2Fから降りてこない。降りてきたと思っても、ちょっと寄ってきては、散歩にいきたくないのか、すぐに階段に戻っていく。階段の真ん中あたりから玄関で立っているぼくをみおろしていた。ぼくもある力を振り絞って散歩に出ようとしていて、彼女も一度拗ねたから折れないのか、自らの力で動けない家具同士が並んでいるかのようにひたすらにらめっこ。ぼくがランニングウェアを着ていないことが彼女にとっては気に食わないのか、もしくはぼくがサンダルを履いていたので、あまり歩かないということを認識していたのかもしれない。靴を履けというメッセージを込めた階段への座り込みだったと思うとなかなかポリティカルというか、態度表明があって良い。結局行かず。
暑い日は、何食べようかと本当に悩むのだが、もりそばが一番だと思い、
歌舞伎そばでもりそば。だけれど、今日食べてみてまた思ったけれど、やっぱり14時までのおばちゃんが辞めてから、歌舞伎そばのそばが美味しくなくなった。この前は、履きすぎたパジャマのウエストのように緩く締まりのないそばだったし、今日はまた前回と茹で具合が違って、絶妙にぬるい。きっと、茹で時間もそうだけれど、茹でたあとに水で締めるのがあまり上手じゃないのだろう。これじゃぼくの好きな歌舞伎そばではないし、人におすすめできない。そんなんだから客層も変わったように思う。安いものはいいと思う、だけど安いからいいのか、そうではないだろう。
今日みたいに暑いとインドカレーとかトマトソースのパスタとかピッツァとかが食べたくなるで、よく銀座でどこかにと思うのだけれど、ぼくの気分と店構えが合わないお店が多い。窓もないような室内のお店で気持ちいい軽いトマトソースパスタを食べても、抜ける心地よさがそこにはない。インテリアもそうだ、味は味だけでは成り立っておらず、目から入る情報も、香りも、サービスも、心の動きも、全てが味を構成するのだ。
今日は、七夕なのに珍しく快晴だった。七夕といえば、毎年曇りで、こちらから織姫と彦星があっているのが見えない。夜星が見えるかなと思って散歩してみたのだが、どれが織姫でどれが彦星かわからなかった。だって、ここ十数年とそれをみていないのだから、見えてたとしても見えなかっただろう。人は、認識することで色々なものが見えるようになる。