2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.4

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2022.7.4

6時起床。Stellaとゆっくり二子玉川までランニング。途中で雨が降ってきたが、そんなことはお構いなしで、どんどん走っていた。ここ最近、朝6時に出ても暑すぎる日々が続いていたので、小雨が降るくらいが気温も落ち着くし走りやすくてちょうど良い。Stellaは、あまり他の犬と戯れるようなことがないので、他に目もくれずにとにかく真っ直ぐに走り続ける。鳥の大群がいると突然立ち止まり、姿勢を低くし0.1倍速のようなでスピードで進み出す。集中力を高め、全身の毛を逆立てて、一点を見つめる。どれだけいつも穏和なStellaでも、獲物を捕まえるというイングリッシュセッターが持つ潜在能力と、前の飼い主に若いことに教え込まれたこの振る舞いを見ていると、その動物が持つ潜在能力と、若い頃に教わったことはどれだけ生活が変わり大人になっても自分の行動に映し出されるのだなと思う。人間も同じで、いくら大人になってから習い事をしたりしても、子供の頃からの癖を消すのはなかなか難しいなと思わされる。大人になってからその癖や習性を正すには強い精神力を要する。
坂井先生の弘明堂へ行く。相変わらずの饒舌っぷり。その後、自然村に立ち寄り、いつも通り食材を調達して、赤坂の吉村さんの新居へ。中島夫妻と吉村夫妻にお誘いいただき食事。19時ごろ帰宅。夜、また聖子ちゃんと大喧嘩をする。
最高の朝を過ごしても、その後最悪の午後が待ち構えていることもある。これまで書いたように、出来事だけをつらつらと並べると、いろんなことができたいい一日だったんだなと思えるかもしれないが、ぼくの精神状態は混沌とし、調子良く軽快に階段を駆け上がっていたのだが、階段の段を一つ踏み外したせいで、その後の段に全てつまずいて、そこに犬の糞があって避けようとすると、転げてしまって、階段の角に尻餅をついて、さらに
挙げ句の果てには、ポケットに入れていたサングラスを糞のところに落としたような気分だった。
朝、ランニングの後、1時間ゆっくりと過ごすつもりの朝もなんだかんだでゆっくりと過ごせず、聖子ちゃんも吉村さんの家に行く予定だったのだが、色々あって行かないという選択。弘明堂に行くのに既に遅刻していたので、駅まで小学生が驚くほどの猛ダッシュで行き、ギリギリで急いで電車に乗り込むが、目黒線に乗るつもりが気付いたら東横線に乗ってしまっていたことに中目黒で降りて、JR山手線に乗りたかったので、渋谷まで行こう!と、気付いた時には、乗っていた電車の扉は閉まり、進み出していた。
そのせいで、弘明堂には遅刻しているのにさらに大きく遅刻する羽目になった。朝のバタバタのせいで、新居祝いもきちんと包めず。弘明堂は、客がいなかったのか、優しく出迎えてくれ、「ここはオアシスだな」ともくさの香りを嗅ぎながら感じる。気持ち良すぎて寝てしまい、いつもだいたい1時間半の施術なのだが、2時間半もしていただいていた。リラックスして寝てしまうのは良いことなはずなのに、恥ずかしさと焦りが混合して、リラックスした身体にまたプレッシャーをかけることになってしまう。13時に約束していた吉村さん宅へは結局14時半に到着。発言発言が妙に裏目に出るような日で、する物事全てが全くうまくいかない日だった。それでもなんとか全てを過ごせて、家に着いたと思ったら、そこから些細なことがきっかけで大喧嘩が始まる。ぼくは、どこでリラックスすればいいのだろうか。最近、家でも職場でも、どこでもリラックスできない、それはまわりとか人のせいではなく、自分自身のせいなのだろうとなんとなく思う。弘明堂のベッドの上でもリラックスしてもすぐ戻ってしまう。休みの日に練馬まで鍼の施術を受けにきていること自体にも少し罪悪感を感じてしまうが、ぼく一人の生活だったら全く何も思わない。ものは、考え方でどこまで精神を解放できるのだろうか。