2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.3

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2022.7.3

ノースリーブとスパッツで走っていると、犬の散歩をされている毎朝お会いするマダムに「どんどん袖が短くなりますね」と言われて、なんだか恥ずかしくなった。どんどん短くなりますね、がランニング中に、頭の中をぐるぐるとリピートしてしまい、鼻歌の歌詞になってしまうほどであった。ぼくは、あのマダムの見立てによると、この調子で行くと先祖が帰ってくる8月半ばには裸でランニングをしてしまうかもしれないと思った。
スポーツのユニフォームの歴史は面白く、どんどんと肌に近くなっている。サッカーのユニフォームも90年代にはダボダボのジャージみたいな素材で、雨をたっぷり吸い込み、重みで襟元が夏休みの少年のようにぐったりしてしまっていた。ぼくが気に入って持っていたブラジルのユニフォームもとても重かったので、サッカーでは着れなかった。私服で着ていた気がする。
肌に近くなっていくことを促進するのであれば、もう一層のことプレーヤーは裸で、みんながメガネとかそういう何かガジェットを装備するとユニフォームを着ているように見えるとか、テレビ越しでは色がついたりするとか、そういう風になっていくのだろうか。でも一方でフィジカルの美学を持つ人がいるので、確実にユニフォームがなくなることはないのは事実だ。それに、スパイクで股間を蹴られた日には、全治3ヶ月では済まないだろう。
他のスポーツに目を向けると、水泳のブーメランなんかが一番小さいユニフォームで究極系かと思ったのだが、あの70cmx10cmほどの三角形についてよく考えると、あれが究極系だと思われたところに逆説的にりんごが木から落ちることを引力だと言ったニュートンのように、肌を覆い隠すことが進化だと言わんばかりのスタイルのユニフォームが出てきた。実際、競技においては年々最速を更新していく。
ユニフォームを着ないことがパフォーマンスをアップさせ、抵抗がなくなるのではなく、ユニフォームを着ることでそれが人間本来持っているパワーをアップデートさせる。それが本来のもののあり方だろう。限りなく0には近付こうとするが、0にはしないという何だか不思議な価値観がそこには存在するが、非常に興味深いな。

今日の日記はなんだか、あまり上手くかけなかった。面白いテーマになりそうなのに、自分の今日の集中力のなさに少しげんなりする。