2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.31

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2022.7.31

聖子ちゃんと「政治の話をしないで」と喧嘩になる。政治観が好きじゃないとか、政治家の好みが違うとかそういう話ではなく、政治にはあれこれと「~らしい」とか「~っぽい」とか、それからあらゆる愚行を隠す行為だとか、そういうものに彼女はうんざりするのだそうだ。ぼくがあれこれと「~らしいで」とニュースや評論家の話などの情報に結局振り回されているということに嫌悪感を感じるらしい。正論だったが、ぼくにだって日々にうんざりすることがあり、一次情報ではないものを身体に入れてそれで会話するということもある。基本的には、ぼくも聖子ちゃんも一次情報しか信頼しない性格ではあるので、それにうんざりする気持ちもわかる。
ぼくたちが自分自身の意見だと見なしているものの多くはよく考えてみれば、誰かの意見のただ受け売りに過ぎないということが、往々にしてある。こういう風に考えるのは、本当に心寒くなる話ではあるが、ぼくたちは多くの場合メディアを通して世界を眺め、メディアの言葉を使って語っている。それに「〜らしいで」という言葉をつけるか、つけないか、
喧嘩をするとどっと疲れて寝てしまった。最近、腹の底から力が出る、力を出そうという感覚がなくなってしまった。