2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.30

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2022.7.30

朝Stellaとランニング。昨晩遅かったこともあり、7時半に家を出た。その頃には、もうすでに今日は猛暑になるのだろうと感じるほどの熱波の気配を感じながら、戦々恐々とStellaと家のまえでストレッチ。
それぞれにピンクと水色の日傘をさした背丈の似た双子のような女性たちが坂の下から登ってきた。暑さのせいで街は8月のパリのように静まっており、遠くからどこからともなくインドに旅行に行ったときに至る所から漏れ聞こえてきていたお祈りの音楽のようなリズムが聞こえる。その二人とすれ違う時に、傘の中を覗き込んでみた。首には、飛行機に備え付けられているような小さめのヘッドフォンのような扇風機がかけられていた。
ここ数年、夏の暑さに対抗するべく、各所から色々な夏の暑さ対策グッズが出ている。そのうちの代表例が手持ち扇風機で、今日のこの女性がつけていた首掛け扇風機も、今年はよく見かけるようになった。
どこで売っているのだろう、どんなブランドが作っているのだろうかと気になり調べたところ、Dysonやパナソニック、バルミューダら家電メーカーが出す首掛け扇風機はなく、大概において、ニトリや新規参入ブランドのようなことが多いようだ。
扇風機を持ち運びできるということさえ、iphone的だなと思うが、勝手な偏見にも思われるが、怠惰な考え方だなと思う。
暑くなれば新しい扇風機のシステムを開発し、ジャケットに扇風機をつける。もちろん、暑くなってしまったので、その後の対処として、ジャケットに扇風機をつけたり、首に扇風機をつけたりするのだろうが、その電力はどこから来るのか、逼迫の夏2022に正しい選択か、涼しさに慣れるとまた部屋に入ればクーラーが必要にならないか、便利になれると何でもかんでも便利を求めないか、生活において便利を求め続けて、欲求のままに生きていくと最後には便利と安易さ、安さが優位にたつ世の中にならないか。我慢というか、ものごとの構造に対する想像力というべきだろうか、欠如しているように思えてならない。
例えば、暑さでいうならば、テントを一枚張ってみる、影に逃げ込むのではなく、作ることを考えられるのが人間という動物だと思う。その建物が建てられる建築デザインの段階では、夏は涼しく冬は暖かい構造にデザインされていただろうか。それを考えられるのがデザイナーの仕事だと思うし、ビジュアルを作ることがデザイナーの使命ではない。その場所の魅力と必要なもの、目指すべき未来を見据えて考えられることが大切だと思う。
新しいウィルスが生まれるとワクチンを接種する。臭いものには蓋というようなその都度対応するしかない部分もあるのだろうが、それがずっと続くのは気分が良くない。何か問題が起きればそれを上書きするように何かを作る。ぼくは、日々生きる中で小さな違和感を感じながら生きている。
なぜウィルスが生まれたか、なぜ問題が生まれるかそのことに想像力と探究心を持とうではないか。ぼくは、今ここにある現状を少しの新しさを持って大きく変化させたいと思っている。一つの作品を買って他に何もいらない気分になるような、そのものが家に来たから心や空間の広がりを感じられるような、その本があるから自分の生活スタイルが変化するような、態度や振る舞いをみて背筋が伸びるような、そんな風にありたいといつも思う。