2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.25

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2022.7.25

Stellaと二子玉川までランニング。休みの日だと気持ちよく時間を気にせずに走れるので、快適なのだが、今日は驚くほどの快晴でとても暑い。夏らしくていいけれど、これだけジリジリと肌の穴にまで光が染み込んでくるように暑くて照り返しが強いと、やっぱりもう少し早い時間に出発しないとStellaもぼくもぶっ倒れてしまう。暑すぎて、河川敷をパンツ一丁で走っているのだが、それが懐かしさもあいまってかとても心地よい。もしかしたら世代や地域的な認識の違いはあるかもしれないが、河川敷とかビーチって、その上裸スタイルが、許容されるというか、もちろんビーチだとそれが当たり前なので、共通理解があるのだろう。もしかすると、河川敷は人が多いとNGかもしれない、いやNGだと思う人もいるかもしれない。結局、ルールってこういう風にあって欲しいなというのが僕の理想で、人が嫌じゃないかで判断されるルール、ルールだけに従っていると、ルールに縛られて、ルールのために生きているというような無責任な人間しか生まれてこない。だから、一般的には上裸はもちろんNGだけれど、河川敷でランニングする人、すぐに通り過ぎる人、大勢の前ではきちんと隠すなど相手への理解を示しながらそうしているとグレーに変わるようなことも存在する。子供はよくて大人はダメとかそういうのは倫理観的な視点や感情的な視点で見ればもちろん理解できるが、動物的な観点でみるととても理解できないし、法律という視点でも解釈がとても難しい。そんなことはこの世の中にたくさん存在する。
ランニングの後、やはり背中が痛いので、このタイミングしかないと思い整形外科に行き、14時カナさんと米山さんと田園調布駅前で合流し、葉山へ。BLUE MOONで一服しながら、海へ飛び込み、浮かぶ。夏の昼間の海って全てを受け入れてくれるようでとても幸せな気分にしてくれる。浮いていると、レコーディングなどで使われる無音ルームに入ったかのように全ての音が遮断されるような感覚もあり、ただ感情としては音が残響として残る。眺める空もそこには何もなく、たまに通り過ぎる鳥や白い雲をみていると、ものの動きの優雅さを感じる。葉山のビーチでこうしていると、山と空との境界線がとてもシャープで平面図のような感覚もある。
コマチーナでディナー。Stellaがいたので、テラスを予約していたのだが、ふと旅行に来た気分になる。このままどこかで泊まってまた明日には海に飛び込みたいような気分。帰りは、みんなお酒を飲んでいたので、カナさんの車を運転して、みんなをドロップオフし、最後、カナさんを駐車場まで送り届け、終電で帰宅。夏は、こういう日がないとなと思う。