2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.24

Translate

2022.7.24

最近、世の中に真面目な人が増えたとか聞かれるが、それは本当に正しい人間の在り方だろうか。真面目がどのように社会に作用しているだろうか。何に対して真面目かによってはある種のファシズムではないか。
エビデンスやルールというものを作っていくこと、真面目な人が増えるということ、その二つには大きな罠があり、エビデンスやルールだけに従うというマインドが出てきて、責任を回避するという無責任な社会ができてしまっている。
実際に、ぼくは会社なんかで働いているが、真面目なんだけれど、矛先がズレていたり、ルールに対して真面目だけれど融通が利かず無責任で、ルールに責任を押し付けている人をよく見かける。そのルールは社会が変われば、もしくは人が変われば常に変化するものだし、変化させることが可能な存在であるはずなのである。ただ、ルールだけが残ってしまい、そのルールに対して「私はルール通りにやったから悪くはない」という立場を振り翳し、自分の責任をその実態のないルールという存在
になすりつけ、ルールのせいにする人をよく見る。そんなことで社会が本当に良くなると思っているのだろうか。無責任すぎて言葉を失う時は多々ある。会社の愚痴みたいになったけれど、会社だけじゃなくて国とか政府とかそういうものにもあるよね、という話。