2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.22

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2022.7.22

Stellaと二子玉川までランニング。10km
今朝、家を出るときは「今日はもう全く走れない、散歩だけにしよう」という気分だったのに、河川敷に行って元気なStellaを見ているとちょっと走ろうかとぼくの心は思いだし、その心の動きに合わせるように足を少しずつ前にしっかりと進め出したらたら、意外にも「今日は意外と走れるな」みたいな気分になった。そんな感覚になることは、意外と多くて、その気分の変化があるのは、なんだろうかとよく不思議に思っている。おそらく前者は、その日の身体の調子はそっちのけに、自分の心自体が「走る」という行為を拒絶していて、後者は身体はぼくの心とは裏腹にもとても快調だということだろう。なので、そういう日は、今日みたくStellaがそのぼくの心にかかった鍵のようなものを取り外してくれれば、身体的に快調だと
奇妙なことに10kmも走れてしまうのである。
朝の出来事だけが全てではなく、他の物事も同じで、自分の心理状態に対して忠実にありたいと思う一方で、そんなものは実の所とても曖昧でフィジアンの作るパイナップルジュースみたいなもので、何かぼくの心を読まないものがその心理状態を壊してくれる。それが時に、空気を読まない同僚だったり、動物だったり、予期せぬ事故や出来事だったりもする。それらは、ある種のトリックスター的な存在。また、その先に楽しみがあるというのも一つ心の鍵を取り外す要因となる。一方で、嫌なことがあれば身体的な調子にかかわらず、心に強く鍵がかかってしまうこともある。
心は快調だけれど、身体がついてこないことの方が33歳のぼくにはまだ少なく、物事の多くは心の調子次第になっている。
いかに、心が踊る状態であれるか、その状態を維持できるか、心が快調かどうかが日々の生活のパフォーマンスを大きく変えるのだろう。心を躍らせる方法は、嫌なことをしない、好きな人と過ごすということだろう。