2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.18

Translate

2022.7.18

祝日の月曜日。
虎屋で生菓子を買う。「沖の空」という海の日に合わせて作られた限定の生菓子。きらめく海と白い雲が織りなす光景を表した意匠が沖に広がる夏の情景を思わせる仕立て。東京には、和菓子の生菓子がなかなかないなと思っていたのだが、灯台下暗しとはまさにこういう時に使う言葉なのだろう。職場から歩いて程近い帝国ホテルに虎屋の茶房があった。実は、他の生菓子を買いにいったのだが、海洋国である日本の反映を願うという意味をこめられた海の日に因んだ今日まで限定のお菓子しか残っておらず、結果よかった。生菓子くらいぼくの作品にも、自分が生また日本の豊かな土地と季節の移ろい、同時に存在する厳しい自然が映し出せたらいいなと思う。だって、偉大な先人たちは、そんな中で自然に敬意と喜びを見出し、それらを文化のモチーフとして生きてきたのだから。
虎屋に生菓子を買いにいったのに、お目当てのものがなく「沖の空」を買って、結果よかったという考え方。先日、ポッドキャストを聞いていると、キリスト教徒と日本人の違いは、「ノアの箱舟」と「お天道様」の話を思い出した。天候さえも自分たちの力でなんとかなってしまうと思っている人たちとお天道様には祈るだけであとはお天道様しだいで、どうなるかは運任せという考え方。主体的にいろいろなものを選択して生きていくか、ある種の客観性というか他者からの影響によって選択をしていくのか。日本人の多くは後者であり、もちろん日本人の中にも主体的に行動をする人があるが、最後まで主体的でいられる人はかなり少ない。どこかフリースタイルというか、なんとかなるだろうという感覚があるのだという。地震や天災がこれだけ起きているし、起きると言われているのだが、起きたら起きたでその時に考えるというような日本人的な感覚。それが良いとか悪いとかではなく、どれだけ主体的に生きていても日本人として生まれ育っていく中で「お天道様」という感覚が身体にしみついているようである。僕たちの感覚の中に「ノアの方舟」はない。