2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.16

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2022.7.16

昨晩、翌朝までに仕上げるという仕事が突然舞い込んできたので、遅くまで仕事をして、朝一番また仕事をして提出したのだが、それに対して苦情が来た。と、書こうと思ったが、事実ではあれど、これをここに書いて多くの人に共有することさえアホらしくなってしまったので、これ以上は、書かない。嫌なことに感情を揺さぶられずに、自分の喜びにだけ心を躍らせるべきだ。
昼、カポナータがまだ残っていたので、リガットーニを茹でる。カポナータは夏には正義だなと思う。
聖子ちゃんとCairo Apartmentの仕事を進める。夕方、家を出て、LICHTヘ。須摩さんと立ち話。ぼくの展示、Alec Sothの展示やサイン会、タブロイド紙、コロナワクチンと海外渡航、Cairo Apartmentの次のプロジェクトの話等々。その後、POSTに行くも、18時からトークショーのため、入れず。なんか、人生では落ち込んでいる時に追い討ちをかけるようなことは容易に起きるよな。幸子さんの色々な資料を持ってきていただけに少し残念だか、今日はこういう日なんだろう。
気分を持ち帰るのも良くないと思い、恵比寿の駅前のantico caffeで一服。大江健三郎『個人的な体験』を読み進める。
大江氏もガトーショコラの上にさらにチョコレートをかけたようなずんとしたものに追い討ちをかけるような壮絶な人生を送られているし、大江氏の著書『あいまいな日本の私』の中に、正しい引用ではないが「絶望的な気分にさらに大変なことが起きてそれでも人間はどのように生きていくことが出来るのかを描いてみたかった」という意味のことを書いており、ぼくはこの一言ですごく彼の人生観や作品に対して興味が湧いたし、自分自身の生きる活力のようなものが見れるような気がしたのである。