2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.7.12

Translate

2022.7.12

夜、そうめんを食べて、聖子ちゃんと話す。Cairoの展望、今後の生活拠点、Stellaのこと、久しぶりに同じ方向を向いて夢と希望を語るようにお互いの募る想いを共有出来た気がする。何時も勢いとそのときの無謀さでなんとか乗り切っていたような生活だった20代から30代になり、東京で生活する中で日々会社で勤務し、入籍し、犬を飼い、結婚式を挙げ、なんとも言えない酸のようにジリジリと迫り来る虚無感とか、アジアの湿気のようなモヤっとした拭いきれない気分がどんどんと自分たちの身体に染み込んで動けなくなってしまいそうな感覚さえある。
そんな感情を切り裂き、火にかけていたポップコーンがいきなり音を立て出すように力一杯動くには、度胸も心の余裕も、目を瞑ることも重要になるだろう。オーストラリアで野宿して過ごしていたのに、もうSertaのベッドでしか寝れないなんてことは、自分でも信じられない。サータのベッドだろうが、バス停のベンチだろうが、海岸近くの芝生だろうが、他人のリビングのカウチだろうが犬のように身体を丸めてしまえば寝てしまえるだけの力を、その種火を消さないためにも、またそこに木をくべるのだ。
文句を言いながら続けるというのは不健康である。それは人にとっても自分にとっても全くと言っていいほど良いことが見当たらない。文句は言わず、淡々と自分の仕事をするだけだ、文句を言わない。声はあげるが、文句は言わない。