2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.6.5

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2022.6.5

朝からStellaの散歩へ。650分に家を出て、ゆっくりと1時間くらい。途中少しランニングをする。今日は書けない、なんで書けないんだ、書けないのは頭が痛いからか、もう頭が働かないので、書くことを許して欲しいと言いそうになるが、誰に頼まれているわけでもなく、ただ自分のために自分の思考の整理のためと、罪を償うかのように続けているのだから、誰かに許可を得る必要も全くないのにそれでも許してくれとか言いたくなるのは、自分が矛盾しているからなのか。
ぼく自身、日記を書くことで快感を得て、心の充足を得ているはずなのに、それと同時に辛い、今日は書けない、頭が動かないんだと感じる。それは、ランニングとかと同じで、毎朝もう辛い、もう行かないと思っても、一歩家に出て動き出してしまえば、気づけば走っていたりするもんだ。そして、ランニング後、家に着いて結婚祝いでいただいた安藤グラスで水を一杯飲み、暑くなった身体に、冷たいシャワーを浴びせながら、「あー最高だ、今日もいい一日になりそうだ」とか思っているのである。
だから、書けないと思っても、「今日は書けない、なんで書けないんだ、書けないのは頭が痛いからか、もう頭が働かないので、書くことを許して欲しい」とか書き出すと少しくらいは言葉を残せるものである。現に、今日も一行しか書けてなかったのに、もうここまで書けた。学校とかもそうだったよな、もう本当に起きれないし行きたくないと思っても遅刻しないように無理矢理体を起こして電車に乗り込めばなんとかなっていた。