2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.6.11

Translate

2022.6.11

朝からStellaの散歩へいく。ここで「の」を使うか「と」を使うかで大きく違う意味を持つなとふと思った。「の」を使うことによって、自分ではなくStellaが行きたいから言ってあげるというような上からの目線や態度を表してしまうし、「と」を使うと、一緒に行くという意味合いが強くなり、ぼく自身も散歩に行きたいから行くという意味合いになる。

せせらぎ公園に行き、その後丸子橋を対岸まで往復し、河川敷を北上し、多摩川台公園を通って帰宅。1時間半ほど歩く。今日は、カメラを持って出たので写真を数枚撮る。

最近、線がどのように物事に境界を作るのかに興味がある。一本の線が、何もない空間に空間を作ることにとても興味があり、例えば、少年の草サッカーなどは、広場に線を引くだけで、その線がスタジアムに変わる。その線を越えれば、相手ボールになるとか、そういう単純なみんなの共通認識だけで空間が完成する。それを知らない、鳥とか犬はぐいっといとも簡単に越えていく。もうその認識で生きているぼくたちはそれが当たり前だけれど、よく考えると不思議なもので、その線があるだけで、建物を立てずしても建築的な概念としての空間を作ることができる。その記録をしようと、最近よく河川敷に写真を撮りに来ているのである。

もっと撮りためるとひとつのシリーズとして完成させられそうだ。境界線というのは、国土とか国境とかそういうものとも繋がっているので、もっともっとポリティックな主題にしていくことも出来そうだなと思っているが、まだ強度がない。あくまで、ぼくの関心事として、ひとつアイデアとしては良い気がしている。その後、聖子ちゃんと家の近くのカフェPericanでカプチーノ。聖子ちゃんとStellaも連れて弘明堂へ行く。1時間ほど電車に揺られていないといけないのだけれど、Stellaが少し暑そうにしていた。バッグに潜りっぱなしは、辛いようだ。顔を出してあげると、気分良さそうに外を眺めたり、乗客に挨拶したりしている。それはとても楽しそう。

久しぶりに坂井先生の施術を受ける。最近、身体が異常に痒かったので、それも相談してみたところ、姿勢が悪いから内臓の活動が鈍っていて、消化しきれていないのだと言われる。姿勢が悪いのはいいことがない。運動していると内臓が活発になるので、別に食べ物をそれほど気にしなくてもいいようなのだが、運動不足に加えて姿勢が悪いとなると、内臓の働きは悪くなって当然だ、と。この時期はどうしても身体から毒素が抜けないらしく、お風呂に浸かったり、汗を書いて湿気を身体から出したほうがいいのだそうだ。坂井先生に身体を触られるだけで、治癒されるような感覚さえある。

その後、Nidi galleryに行き、作品の証明書にサイン。これでひと段落、あとは購入してくれたみんなの家に届くのを待つだけだ。人の家やスペースでぼくの作品が飾られるというのはとても嬉しいことでとても楽しみだ。人の人生の一部になれるというのはすごく素晴らしいことだし、ぼくが継続して作品を作ることが彼ら彼女らへの気持ちにもなる気がしている。

一枚の絵やひとつの作品ででその人の価値観を変えられるようなもの、そんなものをぼくは作っていきたいと思う。

なんだか久しぶりに聖子ちゃんとゆっくりと過ごせた気がする。Stellaもいるので、車を買ってしまうのもいいのかもしれないと最近思っている。車なんて買ってしまうとどうなるのだろうか。

で、やっぱり気になったので、最初の話に戻って「と」と「の」の問題、実際のところ、今日は「Stellaと散歩に行く」という意味合いに近かったかもしれない。