2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.5.9

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2022.5.9

燃え尽き症候群になる方もいますと言われていて、まあそれほど勢いよく燃えた感覚がなく、準備期間も長かったので緩やかに盛り上がった感覚だったので、どうだろうかと構えていたのだが、やっぱり勢いよく燃えきれていなかったのか、種火を切らさないようにしていたのか、意外と燃え尽き症候群と言われるそれではなくほどほどに体力があり、次へスムーズに進めそうである。
それは、(希望をこめて)燃え尽きていないからという訳ではなく、どちらかというと準備して臨んだので、その日その日で燃えて尽きて、そしてまた燃えてを繰り返していかたらなのと、来場者の方々に自分の作品を伝えるという行為は、ある種サービス業の接客とも近い気がするし、自分の作品や自分自身を見てもらうときに話すのが疲れるかというと慣れているんだろうなと思った。それで、日々その燃えることにも慣れているのだろう。話すことが決して嫌いじゃないし、むしろ自分の好きなことについて知ってもらいたいという感情が高ぶればどんどんと饒舌になる。
でも、自分だけの空間がなくなったという寂しさはあるし、ある種のギャラリーとの幻的な関係性もすごく興味がある。また5/20からは違う誰かのものになるんだから、次に家に帰るかのようにnidi galleryに立ち寄っても、その時には赤の他人のような、昔住んでいた家に行くと違う誰かが住んでいた的なそんな感覚になりそうで怖い。ニュージーランドでCitroen BXに乗っていたのだけれど、売り渡した時に去っていくBXの光景がいまだに脳裏にこびりついている。あの時の感情を思い出しただけで、喉が詰まるような感覚になる。nidi galleryに次に行った時にはきっとそんな感覚さえ覚えてしまうのだろう。