朝6時半に起きてStellaの散歩へ。近くのせせらぎ公園へ。楽しそうに走り回っているのを見ていると、リードを外せたらいいのになと思う。やっぱり犬にも犬らしく、元気にポジティブにコーポレーティブに生きていて欲しいと思う。愛犬家たちはどんな風に生活をしているのだろうか。他のことに手がつかない。仕事に行くのさえ、辛い。iPhoneを触る頻度もすごく減ったし、一息つく瞬間をどんどんと感じられるようになった。これぞまさに一息という感じ。年末の大掃除をして、一息ついている時と同じような印象。
夜もまた散歩へ。家の前のテニスコートの辺りに何かいるのか、お気に入りのようで割と楽しそうにしている。
ついにデンマークからテーブルが来た。想像以上にパーフェクトでちょっと感動してしまった。自分たちがきちんとしたものをどんどん手に入れて生活しているのがなんだか不思議でならないが、やっぱりwell considered, well designedなものは良い。色が黒に近いダークグレーを選んだのだけれど、何よりトーンが写真で見ていた印象よりも数倍良い。
そういう風に不思議に思うこと自体が、自分の根底にあるルーザー感覚のようなものなのかなと思う。しかし、どうだろうか。一方で生活と美を愛する者にとっては、well considered, well designedなものを実際に使うというのは間違いではない気はしている。しかし、too muchなデザインや、名ばかりで記号的なものになる世の中に一石投じたいとも思っている。
だから、何かのレファレンスとか何かのオマージュとかそういう索引のある名前を自分の犬にはつけたくないという気持ちもある。自然に生活していて、その中で自分がそのものと対峙した時に出てくる閃きのようなものをもっと大切にできないだろうか。
小津安二郎が好きだから、Ozuという名前やlifeという意味を持つZoeとかPaul&SImonの曲からCeciliaとかそういうような類の名前の付け方はもちろん素敵だけれど、今の自分にはしっくりこないのである。
夜もまた散歩へ。家の前のテニスコートの辺りに何かいるのか、お気に入りのようで割と楽しそうにしている。
ついにデンマークからテーブルが来た。想像以上にパーフェクトでちょっと感動してしまった。自分たちがきちんとしたものをどんどん手に入れて生活しているのがなんだか不思議でならないが、やっぱりwell considered, well designedなものは良い。色が黒に近いダークグレーを選んだのだけれど、何よりトーンが写真で見ていた印象よりも数倍良い。
そういう風に不思議に思うこと自体が、自分の根底にあるルーザー感覚のようなものなのかなと思う。しかし、どうだろうか。一方で生活と美を愛する者にとっては、well considered, well designedなものを実際に使うというのは間違いではない気はしている。しかし、too muchなデザインや、名ばかりで記号的なものになる世の中に一石投じたいとも思っている。
だから、何かのレファレンスとか何かのオマージュとかそういう索引のある名前を自分の犬にはつけたくないという気持ちもある。自然に生活していて、その中で自分がそのものと対峙した時に出てくる閃きのようなものをもっと大切にできないだろうか。
小津安二郎が好きだから、Ozuという名前やlifeという意味を持つZoeとかPaul&SImonの曲からCeciliaとかそういうような類の名前の付け方はもちろん素敵だけれど、今の自分にはしっくりこないのである。
なんだかいい日々が続いている。