2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.1.13

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2022.1.13

朝から奥沢のオニバスコーヒーまでStellaを連れて散歩。
昼過ぎ、サントリーホールへ新春コンサートへ行くつもりがStellaが鳴くので、家から出られず。仕方ないのでコンサートは諦め、家の近くのダイナーでフィッシュアンドチップスを食べる。テラスがあったので、ステラを座らせたままお店に入れた。その後、多摩川の河川敷へいき、ランニング。Stellaは驚くほど元気で、鳥に夢中である。勢い余ってStellaに引きづられるように思いっきり転けてしまった。夜、本棚を組み始める。
日本という国は、歴史を見ると災害に悩まされている。自然との共生が求められる。そんな不安な状態で生きてきているのだから、勉強とか知識とか、奇策とかそういうものを一種の美徳として生きている。物事の決断において、例えば、名前を決めるときに何からのインスピレーションなのかとよく聞かれる。ルーツを重んじる。そんなものがぼくたちの美的感覚として根底にあるように感じる。
しかし、ぼくはそこになんだか一種の閉鎖感のようなものを感じていて、知識武装することとか学んで行動するということを否定するわけでもないし、むしろ自分自身もそうやって生きてきた。しかし、思慮深く自分の生活を見つめ、ただただ生活することによって絞り出されるそのエキスのようなものを掬い取ってクリエイションとしていきたいのである。アルネ・ヤコブセンの50’sのヴィンテージだとか、これはフィンランドのデザインだよねとか、この家具ポストモダンっぽいねとか、答え合わせをするような会話には正直面白さを一ミリも感じることができない。
ぼくには、ああだこうだと悩むのも、何かに掴まりたくなる気持ちも、人の生活への憧れとか他人と比較したくなる気持ちもあるが、そのようなものに負けず、自分の今あるものに心から向き合い対峙し、体と感情で生きる。そんな風にしている自然の姿が素敵だし、ぼくのとっては光なのだ。ニュージーランドのクライストチャーチからトンネルを抜けた先にあるリトルトンという港町で生きている人たちの姿がぼくは忘れられない。彼らは彼らなりに社会との関係を保ちたいと思っているのだろうが、2011年のクライストチャーチの震災により彼らの生活はフィジカル的に遮断されてしまった。修復工事も難航し、5-6年の間、何もないという状態が続いた。そして、やることを失った彼らは、そこに残った廃墟で自分たちの心の音を鳴らしていたのである。独自のノイズ文化がそこで育った。DJをするのではなく、そこにある楽器と中古屋で買ったような適当な機材で音をかき鳴らし、(時にそれは音楽機材ではなく、プリンターだったりもする)自分たちから滲み出るものを誰のためでもなく心の叫びとして放つ。
それが誰に評価されるわけでもなく、彼らの行為にスポットが当たるわけでもない。ただ、ぼくはその時代にそこに居合わせた人間たちが、過去の歴史とか知識とかだけに左右されずに、そこでの生活を生き抜くことで滲み出てくる空気を持って生きているのがめちゃくちゃカッコいいと思ったのである。もちろんそこに住む人間でないとわからない苦悩がある。ただ、ぼくの記憶からは一生離れることはないだろうし、彼らくらいカッコよく生きていきたいと常に思っている。