2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2022.1.1

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2022.1.1

新年あけましておめでとうございます。本年度もどうぞ宜しくお願い致します。
数年前までは、
年の初めに目標を決めたり、抱負を語り、一年後から振り返るようなことを書いてみたりしていたが、今年はどうしようかとまだ決めかねている。目標もなく、抱負もない一年のスタートにはしたくないなとは思っているのだけれど、どうも気が乗らない。
最近、物事を自分で決めることが億劫になっているのだ。全て聖子ちゃんの意見を参考にし、聖子ちゃんに確認し行動している。もちろん嫌なことはめちゃくちゃ多いので、嫌なことはしないという自分の意見ははっきりとあるのだけれど、どっちでもいいという選択の際には、自分で決断することができなくなってきている。なんでこうなってしまったのだろうか。体も心もずっと何かに怯えているのだ。
去年、東京で一人で新年を迎えたので、お節がたくさんだだーっとテーブルに並んでいる光景というのは、なかなか良いものだなと感じる。これを見るだけでも帰省した価値があるように思えた。
ふと、幹生が「あんなにお節料理を作る必要があるのか、無駄に残るなら作る意味ない」と言っていたが、個人的には、そもそもお節料理は1日で食べるものではないし、本来3日かけて食べられるものなのだから多くてもいいのでは?とも思うし、作られることになった理由などを知らないと全ての文化は合理性という言葉によって無くなってしまうのではないかとも思う。もちろん、現代人なので、食に関わる人間として、フードロスとか、そういう観点でものを見る癖がついているのは事実だろうが、丁寧に人のためを思って作られた食べ物がフードロスにつながっているとは決して思えない。ぼくは、食べ物を残すのが嫌いなので、大概の場合残さないのであまり感覚としてフードロスが見えてこない。
今日は長々と文章を書く気は無いので、とにかくまとめるとすると、「合理性」と「めんどくさい」という人間の怠惰によってこれまで長く愛されてきた文化が失われていくのは見てて苦しいので少なくとも自分はそれに加担するような行動や発言をしたくはないと強く思う。

夜は、アーセナルvsマンチェスターCを観戦。めちゃくちゃいい試合で実家の自分の部屋で思わず大声で叫んでしまった。

やっぱりせっかくなので、抱負だけ箇条書きしようと思う。
「自分で早く決断する」
「体調不良を口に出さない」
「嫌なもの、つまらないことの話を他人と共有しない」
「自分の見たものとか聴いたもの、考えていること、感じていることを大切にすること」
「良い空気に包まれて生きる、環境も人も自分が選ぶもの、音楽も音も思考も目に入れる言葉も身にまとう洋服も全て、選択の強度を上げる」
「新作を2作品発表する、もっともっとずっしりとした中心をいくような真正面からぶつかるようなものを作りたい」
「Cairo Apartmentのプロダクトデザインブロジェクト、ペッパーミルとBook Shelf(Object)」
「フィルム40本/年間」
「毎月個人活動を何かアップデートすること(展示なり、コントリビューティングなり)