VOICE by JUN IWASAKI : 2021.11.22

Translation

2021.11.22

大雨で寒い。聖子ちゃんはまだ京都から帰って来ていないので、当分一人でいるのだけれど、一人でいると忙しない。あれもしたいこれもしたいとなっているのが現状だし、帰ってから夕飯を作っていると大体20時をすぎてしまい、食べ終わった頃にはもう20時45分くらいになっていて、そこからお風呂に浸かって、英語のクラスを受講して、そうするともう22時半か23時くらいになっているのである。ゆっくりお茶でもしようと思うが、そんな時間はなく、映画を観たいとか、あー制作の構想を完成させてしまわないとな、とか思っているとどっちつかずになっている。これはまさに自分の性格を表している。寝る時間を遅くして、夜に時間をとるか、それとも朝早く起きるか、そのくらいしか時間を増やす方法はない。ただ今も朝は6時半に起きている。朝は、NYのラジオWNYCをつけて、ケトルでお湯を沸かし、顔を洗い、歯を磨き、コーヒーを淹れる。それからお弁当を作り始める。お弁当を作りながら朝食を食べ、植物に水やりをし、8時に家を出る。で、19時過ぎに家に帰る。というと11時間は外にいるということだ。9時間勤務とはいうものの、結局片道1時間かけて出勤し、もう1時間かけて帰宅している。もうパンパンのスケジュールだなと思う。どうにかして空白の時間を作ろうか。それに一人で生活していると黙っているので、全てが作業の様な気もしてくる。食事を作るのも消費衝動のみに駆られた人間のようで、人間としてのぼく自身から出てくる欲望とか感情とかはそこに存在するのだろうかと疑問に感じてしまう。
サブスクリプションの生活とは、こういうことだろうか。映画も観て、英語もして、電車で音楽を聴き、定期購読のニューヨークタイムスを読み、adobeを使って仕事をする。会社員とはある種のサブクスされている状態とも言えるだろうし、もう固定された驚きのない生活の中でいかに自分の感情や欲望を溢れさせることができるだろうか。損得だけでは生きない、その枠の外にある自分の野生の感覚の様なもので生きていくことはできないだろうか。別に家を出る時間が何時でもいいのだ、寝る時間も何時でもいい。ただアラームは6時半になると鳴る。自発的リズムによるルーティンだと思っていたものが、気付けばルーティンというバッドサイクルにハマってはいないだろうか。たまには自転車で出勤したっていいし、ランニングで帰宅してもいいのだから。
帰りの電車でNostalgieを聴いていると無性にぼくがパリに住んでいたころの気分を思い出す。朝は、早かったけれど、夕方には仕事が終わり、カフェで友人たちと一服し、家に帰る。もしくは他の友人たちと別のレストランに行く。夜は、クラブに行ったり、とにかく賑やかな日々だった。同時に制作にも力があった。
なぜパリに住んでいることはあんなに友人がたくさんいて、街を歩いていると友人に会うような日々だったのだろうか。
夕飯は、昨日残りの豚汁と、朝作ったトルティーヤ。ご飯を炊く。お風呂に浸かり、洗濯物をたたみ片付ける。
アルフレッド・ヒッチコック監督『引き裂かれたカーテン』を鑑賞。ポール・ニューマン主演。み始めたのが遅かったので、起きてられず、途中で諦め就寝。