2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.18

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2021.10.18

昨晩、27時まで作業をしていたので、朝は9時に起床。
珍しくゆっくりと寝たせいか、朝の気分が違う。秋晴れで、日差しは柔らかいけれど青空が広がっている。ベッドルームにも日差しが差し込んできている。夏の間は、太陽が高い位置を通るのであまり日差しは入ってこないのだけれど、夏至をピークに秋から冬にかけては太陽の通る位置が下がってきて、冬至に一番低いところを通ることになる。
部屋の奥まで日差しが差し込むので、夏の間ムッと溜まっていた鬱々とした空気もカラッとさせてくれる気がする。同時に、夏はあまり日差しが直接入ってこないので、すっきりと過ごしやすい。よく考えられた家の構造だなと感心してしまう。
ペリカンでカプチーノを飲み、シャルキュトリーのお店でソーセージを買って帰る。お昼は、ソーセージとルッコラのサラダとパン。天気がいいお昼に聖子ちゃんと二人で食事をしたのが久しぶりだったので、なんだかこうやって過ごすのも久しぶりだねなんて話をする。レンタカーを借りて、上石神井駅近くのプランツ屋さんに植物でも買いに行こうと思ったが、レンタカーを結局かりず、電車で向かう。クリーニングをピックアップに行くも、中休み。大使館の車が止まっているのが見えたり、テニスコートにいる全身白のウェアを着たおばさんチーム、日差しが作る植物の影、工事現場に見えたモダンな建物など、何に起因しているのかはわからないのだけれど、妙にここが日本ではなく違うどこか他の国にいるような気分になった。
新宿三丁目から新宿を経由して、CONRAN SHOPに立ち寄り、近くのホテルのラウンジでカフェ。バスタ新宿のあたりで突然ひらけて日差しを身体中に受け、なんだか不思議な気分だった。朝ベッドで日差しを浴びていた時には、新宿を歩くとは全く思ってもいなかったので、それも相まってきっと不思議な感覚になったのだろう。新宿は、ちょっと臭い。アジアのムンムンとした空気を感じながら、また同時に昭和で止まってしまったような、森山大道の世界がまだそこにあるような気配を感じながら、それに対する嫌悪感と、不安。なんでこんなふうに止まった世界を美化しながら生きている人がおおいのだろうか。後ろ向きな、過去の栄光に縋り付いたような感じがどうもしっくりとこない。
ハイアットのデリカテッセンが良さそうだった。あんなのがあることを知らなかった。人も少ないし、風や気の流れも良いと感じたので、来るべき場所だねと話をする。ここはぼくたちにとってとても大切な場所である。フィジーでLost In translationを何十回と観ていたので、あの場所は自分にとってはホームのような、映画の中でも日本における仮のホームとして存在しているので、ぼくのフィジーの家と同じような感覚だったのだ。そんな場所なので、初めて行った時には妙な興奮と家に帰ってきたような懐かしささえ感じるようで、その感覚は今でも忘れられない。
諸々調達して、吉祥寺でラーメンを食べて、帰宅。ラーメンはあまり食べないのだけれど、それでも食べに行くとつい学生の気分になってしまうようで、大盛りだとか餃子セットだとかを注文してしまう。今日も例に漏れず 餃子セットを注文。お腹がはちきれそうになる。
今日も英語のレッスンをする。グループレッスンだったが、きちんと使うべき単語を使いながら会話することができるようになってきた。日本語だろうが、言葉遣いも方言も一度癖にしてしまうことが重要なので、英語も最初は難しくてもそんなふうに話す癖をつけると意外ときちんと話せるようになりそうである。
プランツとブランターを抱えて帰ってきたので、胸と腕が筋肉痛になりそうである。もうすでにプルプルとしているのがわかる。それでも植物が増えたのでまた一段と家にいるのが嬉しくなりそうである。イモムシとの戦いは続きそうだ。