2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.17

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2021.10.17

日曜日。仕事の休憩中に、山下達郎のサンデーソングブックを聴く。「女心と秋の空」と言っていたが、その瞬間に彼女を思い出し確かにと納得してしまった。昔からものごとというのは大して変わらないのだ。女の子はいつだってわがままで気分屋で移り気なのだ。でもそれがいいんだとぼくは思っている。
今日もまたベランダのバジルがイモムシやられた。先日は、ミントを全て食べられてしまったので、もうこちらとしてはほとんど戦力が残っていないので、これ以上食われると困ってしまう。毎日、小さな争いがうちのベランダでは起きている。だけれど、ウンチをたくさんしていくのだけれど、なんであんなにたくさん食べてたくさんうんちをしていくのだろうか。食べる快感(もしくは出す快感)だけを求めているのだろうか。その瞬間の喜びを大切にするあまり、一日で全てを食べてしまうなんてこともあるのだ。人間なら、きっとこれは明日に残そうとか、お腹がいっぱいだからもういいやとか、思うのだろうけれど、虫にはそんな概念はなさそうな気配がする。喜びはあるのだろうか。喜びがなければ、食べられたバジルの念、それからぼくらのバジルに対する愛情はどこへ行ってしまうのだろうか。
世の常なんてものは存在しないのだろうし、見返りを求める、意味を求めすぎる、なんてことは野暮なのかもしれないが、それでも先日一晩でなくなったミントと大量のうんちだけを見るとそう考えずにはいられない。