2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.16

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2021.10.16

ウディ・アレン『ただひたすらのアナーキー』読み進める。読んでいるとこれくらいユーモアと皮肉のセンスがぼくにもあればと思ってしまう。自分のセンスにしたいと思うほど、ただただ楽しい。

ぼくの今の人生は、夜と朝しかないようだ。19時から日を跨いだ8時までしかぼくの今の人生は存在しないような気分である。そして大体24時から6時までは寝ているので、7時間あることになる。そういう風に数値化すると7時間もあるんだなと、持て余しているような気分になる。英語に1時間を費やし、朝のお弁当に1時間を費やし、結局夜の3時間くらいしか時間はないのだ。それでも毎日何かを継続して進めることで変化があると信じている。電車で本を読んでいる時間が幸せな時間でもある。

今日の朝は、「地獄に行ってきます」と言って家を出る。そのくらい憂鬱な日々である。そこまでしてなんで仕事を続けるのかと言われるだろう。

お昼は、お弁当を公園で食べて、その後は、とにかくリサーチ。

夜は、ビーフミンスと豆乳とパルメザンのリガットーニ。タイムと豆乳とビーフミンスの相性が抜群である。庭にハーブがあると、焦る必要もなくなるし、使いたい時に使いたいだけの量を使うことができる。普通なんだけれど、これが当たり前にないのが都会の生活なのだろう。

なんだか、いろいろなことに憂鬱になりスタジオに篭ってサッカーを鑑賞。かなり精神的に参っている。きっと彼女も今精神的に参っているように見える。リズムを待つ彼女の感覚は尊重したいが、そういう人と一緒にいる人間も同時に苦しいということを知るべきだ。

彼女の父もバイオリズムを大切にしていると先日あったときに話していたのだけれど、そのリズムが来るのをどう待つかも大切だよなと彼女には言いたい。色々と人と生活していると思うところはあるし、これからの不安しかないのだけれど、一緒にいるからと言って自分のしたい事が出来ないのであればそれは決して良い関係ではないはずだ。

サッカーを見ていると、単純に単身違う国で切磋琢磨するのは、タフだけれど、楽しい、今でもその感覚を思い出すことが出来るし、その環境に身を置きたいと思っている。古橋や三苫選手などをみているとその頃の感情を強く思い出すことができる。ぼくが人生において何にも変えがたい大切にしている感情の一つである。