2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.10.15

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2021.10.15

ウディ・アレン『ただひたすらのアナーキー』読み始める。
ウディ・アレンを読んでいると芸術的な表現欲求によって生まれ、できれば見る人に楽しんでほしい、という気持ちが託されているのが作品だと言っているようにしか感じられない。これが世の中に受けるとか、賞に値するとかそういうものは全くなさそうだなと思う。マイペースを貫くウディ・アレンの姿勢がそこには出ている。
お昼過ぎに、イライラのピークを迎え、明日は、仕事に行かないと決心する。
頭痛がひどい。やっとイワタキさんにテーブルのデザインを送る。良いものが出来た。
今夜も頭が痛いなりに、グループディスカッションを1時間ほど。法律、裁判所でのシーンなどをやった。単語は全くわかならいけれど、なんとかやり過ごしてしまう。勉強してそれを繰り返しすることでどんどん成長するはずなのに、ぼくはその場をなんとかやり過ごしてしまっている。これだど英語を学んでいるとは言えないように思う。自分が現状できるレベルでただコミュニケーションをしているだけだ。もっと、学んで使ってみないと。
やっぱりテーブルがないと作業も捗らないし、勉強している気分にすらなれない。
イライラを素直に受け止めて、それを表に出しているようじゃまだまだだなと思う。
アニーホールのウディ・アレンの名言
「僕の人生観は悲観的だ。世の中には悲惨な人生みじめな人生がある。悲惨な人生はどうしようもない困難を背負っている。たとえば、目や体が不自由な人だ。彼らがどんな人生を送るのか想像もできない。みじめな人生はみんなが体験する。だから、僕たちはみじめな人生が選べたことに感謝しなくちゃ」

 機嫌と気分が悪く一日中誰ともほとんど話さずに帰宅。帰宅して1分くらい経ったら妙に元気になってきた。
聖子ちゃんとRose Bakeryのメニュー、ロゴ、ショップカード、ビジネスカードのデザインをする。ある程度形になってきたけれど、こういう仕事は楽しい。ぼくは彼女と一緒に仕事がしたいし、次のCairo Apartmentの出版物も出したい。これはずっと思っているのだけれど、彼女は今まだムードにないのだろう、進められない。彼女のリズムを尊重したいので、とにかく我慢する。
英語のグループディスカッションを1時間ほど