2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.8.19

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2021.8.19

昼は、トマトのパスタを食べ、ヒッチコック『身知らぬ乗客』を鑑賞。レイモンドチャンドラーが脚本を担当しているサイコスリラー。
非常にヒッチコックらしい絵の作り方で、かつ恐怖の煽り方で面白い。これが自分の作品だったらと思わされるほどである。最後のメリーゴーランドのシーンは、良く出来すぎていてサイコを超えている。本人が絵作りのサイコではないか。
その後、久しぶりに田園調布を出てBuikへ。Taka Ishii Gallery Photographyへ。写真家花代さんの展示。田園調布で、八百屋により、デラウェア、ナス、きゅうり、トマト、バジル、など夏の野菜を買い帰宅。夜もまた聖子ちゃんの要望でパスタ。
ロバートベントン監督『クレイマークレイマー』を鑑賞。裁判における人の無力さを感じてしまった。言葉がその言葉だけの意味ではなく文脈や含み、状況によって変化し様々な顔をもつことは全人類が感じているはずだが、裁判において言葉はその言葉本来の意味だけになり、前後の文脈は切り取られてしまう。
昨日の個人の度胸が社会や現実を大きく変えているという話の続きだけれど、高校野球が開催されている。ぼくは、根っからの高校野球ファンであると自負している。中学生の頃から阪神電車に乗り、甲子園に足繁く通っていた。
野球が大好きというのではなく、各選手や学校のストーリー、感情の変化、若者のノリとか勢い、気配というものにとても興味があるのだ。荒削りなものが技術や戦術に勝るというようなことが起きる。エリート校だけが勝ち進めるわけではないシステム、地方大会からずっと一発勝負のトーナメントで行われていること、などもあるだろう。グループステージなどがあれば選手層という話になってしまうので、競合がより勝つシステムになる。
まあ、高校野球の何がぼくをときめかせるかという話はさておき、宮崎商業と東北学院の二校がコロナ陽性が出てしまい、出場を辞退したのだそうだ。
いろいろ感じることはあるけれど、大人と青年たちの感覚の違いと、態度、想い、責任など色々な観点から物事を見ることが大切ということと、人の夢を守る態度でいたいと思わされるようなニュースだ。