2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.7.8

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2021.7.8

朝、聖子ちゃんを送り出し、部屋の掃除。
オーボンビュータンに行き、エスプレッソとパンオショコラと思ったが、コロナパンデミック以降、パンオショコラを作ってないらしく、りんごのコンポートのパンにする。世の中には、こういう機会がないと食べないものが確実に存在し、今日のこれがまさにそうだった。オーボンビュータンに朝に行き、エスプレッソとパンオショコラを食べることを楽しみにしているとどれだけ他に美味しそうなものがあっても、エスプレッソとパンオショコラの一択しか存在しないのだ。
自転車で5分のところに引っ越したので、これまでよりも自分の生活に身近なものになった。
その足で、大岡山にあるパン屋、ショーマッカーへ。Googleマップを見ていて、見つけたのだけれど、ドイツ系のパン屋で、突然ヨーロッパにある小さなパン屋のようなお店。
実際行ってみると、ローフブレッドばかり大きいのばかりで選ぶ方も気持ちがいい。自転車で15分くらいなので、遠くはないが、もう少し近くにあればよかった。
ワクチンの接種についてずっと考え調べているが、どうも答えが出ない。10日に予約をしてはいるものの、キャンセルも出来るので選択を先延ばしにしていた。
ワクチンのコロナウィルスに対する効果はある程実証されているが、他の病気への影響があるかどうか、長い目で見た時に副作用がどうなるのか、免疫系へのダメージはどうかが、実際不透明なようで、ぼくの不安を煽る。今回のワクチンは生ワクチンでも不活化ワクチンでもなく、人工的に作られた遺伝子の組み込まれたワクチンで、そのワクチンは実際には人には使われていなかったものが今回のコロナパンデミックにより使用されるよう
になった。さらに効果が6ヶ月しか持たないと言われており、また新しい変異株が生まれた時にそのワクチンが効果を示すのかは正直不透明ではある。発症はしないが感染はするということで、人へうつすことができる、運ぶことが出来るのだという。ウィルスは死なないため、きっと変化するような気もしている。
単純にこのワクチンがコロナという病気に対しての効果だけで判断することは出来ない問題で、そもそもまずコロナウィルスに感染することへの危険を持つこと。コロナそのものの危険性は、後遺症。倦怠感や脳へのダメージがあること。
それから自分自身とコロナ、自分自身とワクチンと考えがちであるが、社会とコロナ、社会とワクチンと考えたときに自分よりも危険度の上がる人々が摂取していないのに自分がワクチンを摂取することが正義なのかが不明である。現在、65歳以上のワクチン2度目の摂取率は26%だというが、それで自分が摂取する権利を得たからと打つべきなのだろうか。優先されるべきは誰か。それくらいの余裕は持っていたいと思う。ニュージーランドの首相は、エッセンシャルワーカーが摂取を終えたのを確認してワクチンを摂取した。それがもしパフォーマンスだったとしても素晴らしいことだと思う。日本の政治家はどうか、自分が摂取したか摂取していないかすら公開していない。摂取したと喜ぶ若者はどうなのか、もちろん若いからとか年齢がどうだとか正直関係ない部分もあると思うけれど、それでも致死率だけを見ていると優先されるべきは何かがわかるような気がしなくもない。
自分が、どんな風に人生を生きていたいかということ、結局そういうことなのだろう。