2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.7.6

Translate

2021.7.6

火曜日。
昼休憩を利用して丸の内を散歩。仕事場では、ずっと座っての作業なので、足を動かさないと体がどんどんと鈍ってしまう。何をするでもなく歩き、ハーマンミラーストアとコンランショップに行く。特に欲しいものはない。作られすぎているものに全く魅力を感じられない。
丸の内はいいお店が多いなと来るたびに思う。ぼくは割と丸の内が好きである。以前、KENNEDY Magazineの撮影で、音楽家の尾島由郎さんと柴野さつきさんと丸の内を歩き回ったが、尾島さんも同じく丸の内が好きらしく、建築物についていろいろ教えてくれた。昭和と大正の建築について、このエリアは昭和で、このエリアは大正期に建てられたなど。
なぜ、これまで人々は、こだわりを持って建物を建てていたのに近年の建物は陳腐になっているのだろうか。予算不足だろうか、それとも僕の感覚がおかしいだけで、陳腐ではないのかもしれない。もしくは、素材の高騰化か。
なんだかわからないけれど、街に陳腐なものが溢れかえっている気がする。
単純に考えると同じ金額のものを安く仕上げると、利益率は高くなるので、働く人々はお金を多くもらえるようになっているべきである。人々の生活か豊かになっているのだろうか。
人間は、怠ける生き物だからお金が増えて時間が増えれば無駄なものが増えていくだけなのではないか。安物がどれだけ人々の生活を豊かにしているのかというと、ぼくには0だとしか言えない。労働を生みだし、生活を豊かにしているという感覚があるのであれば間違っていると言いたい。ニトリでとりあえず揃えたり、ユニクロで済ませたりする、そんな価値観は不要ではないか。ぼくは、ニトリで買うならなくて良い。ニトリで買うことは「ない以下を作る」ということでもあるように思える。そんな否定的なことばかりここに記録するのはよくないが、それでもここに記録しよう。ニトリやユニクロが悪いのではない、消費者が悪いのだ。消費者がいないと存在しないもの、それが企業だと思う。