2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.7.18

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2021.7.18

 buikカナさんと聖子ちゃんとlocaleでブランチ。

恵比寿まで歩き、JRに乗り鎌倉へ向かう。ボーッとしていると気付けば乗り過ごしてしまい辻堂へ。快晴もいいところだよと言いたくなるほどの快晴、さらに暑い。海日和だ。

小腹が減ったので、何かフレッシュなものをと思い鎌倉市場でパプリカを買いそのまま食べる。パラダイスアレイでピッツァパンも食べる。

モヤイ工藝まで歩く。夏椿に立ち寄り、葉山へ。途中で暑すぎて倒れるかと思った。

いつもの宿、一色海岸近くのプレーゴ葉山へチェックインして、海へ。ダイブして、クールダウンして、シャワーだけ浴びて、コマチーナでディナー。わざわざ鎌倉に戻るのもなんだろうなと思うけれど、こうやってバスに乗って食事に出るのも旅行感覚があって良いと思う。特に、旅行が難しい今のような時期に、旅をせずとも旅行感覚を持つということはいかに心の健康に大切かということを感じる。思考は移動距離と比例すると思っていたが、移動距離は、確実に思考を変化させ新しい思考パターンを生み出すという方が正しいのかもしれない。22時ごろホテルに戻る。夜の海は、急に怖い顔を見せる。腰が引けて、前に進めない。

ぼくたちは海へ向かう、ただ夏に海へ行き、明るい時間に海に浮き、泳いでいる。疲れたらビーチで寝転がり本を読んでいる。暑くなったらまた海へ飛び込む。夕日を見て、暗くなったら食事に出かける。そのあとは海のことは考えない。天気が悪かったり、台風がきたら海へはいかない。冬も海へはあまり行くことはない。海の一部分しか知らないのである。海の近くに住む人たちや、海で過ごす人たちは夜の海も、嵐の日の海も、冬の海も夜の海も知っている。海の家で働く人たちを見ていると、人間の余裕と自信を感じざるを得ない。それが、ぼくたちが知らない海を彼らは知っているからなのではないかと黒く焼けた肌と引き締まった体と声の張りを聞いて考えるのである。