2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.7.12

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2021.7.12

養老孟司『遺書』を読み始める。
今日もざっと夕立がすごい。こういう夕立があるともう梅雨も明けたのかなと思うが、実際のところ明日からまた雨が続くようである。夏は夕立があって気持ちいいなといつも思うが、近年夕立も少なくなっていたように思う。なんだか久しぶりの感覚。
コロナ禍では、あまり季節感を感じる出来事が少なくなっているように思うので、こうやって夏らしく夕立が降ったり、雷がゴロゴロ言っていたりすると本来の人間の姿に戻れるような感覚がある。コロナ禍で、自分たちが無意識のうちにいろいろなものから影響を受けているのだということをはっきりと理解することになっている。何でもない、言葉や記録にするほどのことではない、むしろ言葉や記録しようとしたことがないようなことから人々は影響を受けている。
人々は、CDを聴き出した時に、やっぱりレコードの方が良い、生演奏の方が良いと言った。結局のところ、CDは人が聞こえない音を排除しているそうだ。ということは、人は耳だけでは音を聞いていないことになる。耳では聞こえない音は鼓膜や皮膚により感じ取り何らかの感情を生み出しているということになる。こんな話が今読んでいる本の中に書いていたが。確かにそうだなと思った。
ぼくたちの夏の記憶だって、言葉や記録では残らない程度の何か、人間の意識の外側にあるものによって人々の体に記憶されているのだろう。
頭痛がするので早めに寝る。