2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2021.2.14

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2021.2.14

語れることがなくなるということは、生きている実感を感じないということである。
語れないこととは、嘘やごまかし、隠し事、秘密などそれそれらも含まれる。
そういうことの蓄積によって人は語ることが出来なくなり、自らの生を感じなくなるのである。
その隠し事の中の世界では、その態度や行為、気持ちやが間違えではなく、とても美しいものとして存在していたとしても、
その隠し事のあるレイヤーから出て他の日常や、他のレイヤーにある世界に出てきた時に、一つの出来事(或いはそれ以上の数の出来事)は、かき消され、自らの生の実感をかき消すのである。
人はいろいろなレイヤーの中に生きていると思うが、そのレイヤー同士は常に絡み合っているかもしくは関係を保ち呼応すべきであって、その絡み合いの方法や呼応の方法は唯一、同じ一人の人(自分自身)によるものであるべきなのである。仲介人である。
レイヤーから違うレイヤーへ移った時に違うレイヤーで起きていた出来事が掻き消されるような、その行為は実際には無かったことになるような人生の在り方が本当に正しいのだろうか。
人は物語に生きているのだろうか。
自らを語ることが生である。