喪中の為、あけましておめでとうという祝いの言葉を避けた新年の挨拶。
皆さま今年もどうぞ宜しくお願い致します。
9時頃に目を覚ます。昨晩は、日を跨ぐ2分前までは村上Radioの生放送を聴いていたのであるが、そこで寝てしまい、年越しは寝ていた。初日の出も見れず。
18歳で初めてパリに行った時も、年越しをとても楽しみにしていたのに、友人越智と共に23時頃に寝てしまい、起きた時にはもう既に年を越していた。多分24時半頃だっただろうか、その頃泊まったBastilleの小さいホテルからずっと歩いてシャンゼリゼ通りまで行った気がする。その夜中は街がとても賑やかで心が躍ったのを覚えている。路上でギター弾きのおじさんが、ダニエル・ビダル「オーシャンゼリゼ」を歌っていて、シャンゼリゼ通りでオーシャンゼリゼを聴いて、涙しそうになった。あの頃にあったパリの感覚は今やもう存在せず、森田幸子さんにスウェーデンカフェで会ったり、SO MEの個展に行ったり、Busy Pのレコードを買ったり、KTZや、coletteで買い物したり、母の好きだったマレのカフェ、(名前をど忘れしてしまったが)のレモンタルトとお店の雰囲気とか、やっぱり薄暗い浅いグレーのような色でしか表現出来ないもの、なんか2007年の頃にあったパリの感覚はどこへいったのだろうか。いまでも思い出せるが、住んでいた頃の感覚とは全く違う。
年越しといえば、若い頃はだいたい父方のおばあちゃんにいたのであるが、2012-2018は例外で、海外に生活していたので、その土地での年越しを楽しんでいた。
2013年は、シドニーのBondi Beachで聖子ちゃんと過ごしていた。あの頃のことは今でも鮮明を覚えているし、記憶から褪せることがない。香りも風の温度も色も、感情もすべてを手にとるように思い出すことが出来る。過去のものを手にとるように思い出すことができるとよく人はいうが、まさか、と思っていたが、ぼくにとってはこの記憶はまさに手にとるように思い出すことが出来る記憶の一つである。
2014年は、インド旅行中に聖子ちゃんと夜行バスの中で迎えた。外は、花火が1発上がっただけで、騒ぎもなく、街から街へと移動中だったこともあるのか、寝静まっていた。もちろんインドにはドゥワリという彼らの正月があるので、西洋暦での元旦には興味を持たないということだろう。日本人はクリスマスを祝い、正月を祝う、なんて柔軟なのかと思ったように覚えている。
2015年は、パリでGraceとTimと過ごした。その時は、自宅からメトロに乗ってシャンゼリゼ通りに向かった。花火やライトアップを見て電車で帰宅。Graceが腹痛に襲われ、フェデラブシャリニー駅から家まで猛ダッシュした。ぼくもそのスピードに合わせるのに必死だったが、Graceはめちゃくちゃ早かった。
2016年は、珍しくおばあちゃん家で過ごし、
2017年は、Harryの実家へ。これはすごく楽しかった。初めて、海外のニューイヤーホリデーを楽しんだ気がした。イギリスのホリデーケーキであるフルーツケーキも南半球のクリスマスでよくあるハムもすごく美味しかったし、クリスマスは家族で過ごし、ニューイヤーは友人たちも交えて過ごす感覚がとても楽しかった。あと、すごく暑かった。
2018年と2019年は、またおばあちゃん家で過ごし、2020は一人で東京で過ごす。
今年が、人生で初めて一人で過ごす正月だったけれど、それはそれで良いものだ。
抱負など考える余裕もなく、お節を作って、お雑煮を食べて、ケーキを食べて、両親とおばあちゃんと電話をして、映画を3本観て寝た。おばあちゃんは昨年亡くなったもう一人のおばあちゃんのことをすごく悲しんでいた。一人取り残されたような気分になっているのだろうか、少し精神的にも弱くなっているのかなと思ったけど、コロナは大丈夫か?と尋ねたところ、「知らん間に人にうつしてしもてるかもしれへんからあんまり家出てへんわ」と言ったのを聞いて、まだまだ感覚が若いなと感じた。
自分が感染して体調を崩すこと以上に自分が感染して、それを人に感染させるリスクに怯える。社会を生きている実感からなのか、それとも周りの人間に対する愛なのか、若さなのか。
今、思ったけれどおばあちゃんくらいの生活になってくると自分周りには煩わしい人間関係など存在せず、全て自分の愛の対象でしかないのかもしれない。だから、自分が感染し、うつすリスクを第一に考えるのかもしれない。その瞬間には若いなとしか思わなかったけれど、おばあちゃんの大きな愛、いや大きすぎる愛を感じずにはいられない。
9時頃に目を覚ます。昨晩は、日を跨ぐ2分前までは村上Radioの生放送を聴いていたのであるが、そこで寝てしまい、年越しは寝ていた。初日の出も見れず。
18歳で初めてパリに行った時も、年越しをとても楽しみにしていたのに、友人越智と共に23時頃に寝てしまい、起きた時にはもう既に年を越していた。多分24時半頃だっただろうか、その頃泊まったBastilleの小さいホテルからずっと歩いてシャンゼリゼ通りまで行った気がする。その夜中は街がとても賑やかで心が躍ったのを覚えている。路上でギター弾きのおじさんが、ダニエル・ビダル「オーシャンゼリゼ」を歌っていて、シャンゼリゼ通りでオーシャンゼリゼを聴いて、涙しそうになった。あの頃にあったパリの感覚は今やもう存在せず、森田幸子さんにスウェーデンカフェで会ったり、SO MEの個展に行ったり、Busy Pのレコードを買ったり、KTZや、coletteで買い物したり、母の好きだったマレのカフェ、(名前をど忘れしてしまったが)のレモンタルトとお店の雰囲気とか、やっぱり薄暗い浅いグレーのような色でしか表現出来ないもの、なんか2007年の頃にあったパリの感覚はどこへいったのだろうか。いまでも思い出せるが、住んでいた頃の感覚とは全く違う。
年越しといえば、若い頃はだいたい父方のおばあちゃんにいたのであるが、2012-2018は例外で、海外に生活していたので、その土地での年越しを楽しんでいた。
2013年は、シドニーのBondi Beachで聖子ちゃんと過ごしていた。あの頃のことは今でも鮮明を覚えているし、記憶から褪せることがない。香りも風の温度も色も、感情もすべてを手にとるように思い出すことが出来る。過去のものを手にとるように思い出すことができるとよく人はいうが、まさか、と思っていたが、ぼくにとってはこの記憶はまさに手にとるように思い出すことが出来る記憶の一つである。
2014年は、インド旅行中に聖子ちゃんと夜行バスの中で迎えた。外は、花火が1発上がっただけで、騒ぎもなく、街から街へと移動中だったこともあるのか、寝静まっていた。もちろんインドにはドゥワリという彼らの正月があるので、西洋暦での元旦には興味を持たないということだろう。日本人はクリスマスを祝い、正月を祝う、なんて柔軟なのかと思ったように覚えている。
2015年は、パリでGraceとTimと過ごした。その時は、自宅からメトロに乗ってシャンゼリゼ通りに向かった。花火やライトアップを見て電車で帰宅。Graceが腹痛に襲われ、フェデラブシャリニー駅から家まで猛ダッシュした。ぼくもそのスピードに合わせるのに必死だったが、Graceはめちゃくちゃ早かった。
2016年は、珍しくおばあちゃん家で過ごし、
2017年は、Harryの実家へ。これはすごく楽しかった。初めて、海外のニューイヤーホリデーを楽しんだ気がした。イギリスのホリデーケーキであるフルーツケーキも南半球のクリスマスでよくあるハムもすごく美味しかったし、クリスマスは家族で過ごし、ニューイヤーは友人たちも交えて過ごす感覚がとても楽しかった。あと、すごく暑かった。
2018年と2019年は、またおばあちゃん家で過ごし、2020は一人で東京で過ごす。
今年が、人生で初めて一人で過ごす正月だったけれど、それはそれで良いものだ。
抱負など考える余裕もなく、お節を作って、お雑煮を食べて、ケーキを食べて、両親とおばあちゃんと電話をして、映画を3本観て寝た。おばあちゃんは昨年亡くなったもう一人のおばあちゃんのことをすごく悲しんでいた。一人取り残されたような気分になっているのだろうか、少し精神的にも弱くなっているのかなと思ったけど、コロナは大丈夫か?と尋ねたところ、「知らん間に人にうつしてしもてるかもしれへんからあんまり家出てへんわ」と言ったのを聞いて、まだまだ感覚が若いなと感じた。
自分が感染して体調を崩すこと以上に自分が感染して、それを人に感染させるリスクに怯える。社会を生きている実感からなのか、それとも周りの人間に対する愛なのか、若さなのか。
今、思ったけれどおばあちゃんくらいの生活になってくると自分周りには煩わしい人間関係など存在せず、全て自分の愛の対象でしかないのかもしれない。だから、自分が感染し、うつすリスクを第一に考えるのかもしれない。その瞬間には若いなとしか思わなかったけれど、おばあちゃんの大きな愛、いや大きすぎる愛を感じずにはいられない。