2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.6.4

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2020.6.4

朝は7時くらいに起床。11時からDSMG。久しぶりに出勤する。
実家に帰るといつも鼻炎が悪化する。アレルギーが反応するのである。
ぼくは、最近ボイスメモで何か思いついた時に録音するようにしているのだけれど、それが本当に酷いのだ。何が酷いって、滑舌が悪すぎるので、なにを話しているのかを理解するのに自分自身でも一苦労する。「えーっと、」などと話し始めると、「でーっと、」 となる。
「いい牛肉さえ見つけてくれれば、あとはトンカツと同じ要領であげるだけなのである」が「いいぎゅうにくさえみずげでぐででば、あとはトンカツと同じ要領であげでばいいのである」となっていた。
「で」と濁点がどんどんとぼくの言葉を犯していくのである。濁点によるレイプとだって言える。
それに加えて、声の通りもよくない。何か喉に詰まっているんじゃないかと思うほどにゴモゴモとしている。室内で録音しているときは、それほど問題ではないのだけれど、屋外で、特に風や車の走る音などが聞こえる場合には、本当になにを話しているのか理解するのに苦労する。ここまでくると自分の言葉とは思えない。
中学生の頃は、滑舌の悪さをよくいじられていたけれど、それも一つの特徴という風に楽観的に捉えていた。でーでーでーとよく言われたものである。今でも時々滑舌の悪さを指摘されるけれど、それでも昔に比べるとだいぶ減った。住んでいる場所の違いだろうか。これで英語を話していると思うと、本当に笑ってしまいそうである。英語の発音の前に日本語の発音の問題なのだろう。
それから、自分の普段きいている声色と録音した声色が違うのも苦手である。TVに出ている有名人やラジオリスナーや歌うことを生業としている人たちはどんな風にそのギャップを埋めているのだろうか。不思議でならない。
これほど滑舌が悪いならぼくは人前で話すことも、ボイスメモで自分の考えを記録するのも向いていない。だから、ぼくは毎日日記を書いているのかもしれない。でも一ついいことがなんだか自分のこえではないし、ラジオやスピーカーから流れるきれいな声と違うので、なんだか楽しい気持ちになる。
 皆さんも一度自分の声を録音して、次の日に聞くといいですよ。それだけで人と会えなくてもなんだか新しい出会いがあるような気になれます。