2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.6.7

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2020.6.7

6時半起床。
昨日はお昼ご飯を作れなかったので、今日こそはと、朝からサンドウィッチを作る。サンドウィッチを作ることは昨日から決めていたので、なにを入れるか、どんな工程が必要か、どのくらいの時間が必要なのかはおおよそ予測はついていたので、逆算して布団から出る。まず、顔を洗う。今日もなんだかダルさを感じている。
6月に入ってからずっとダルさを感じている。理由は全くわからず、風邪のような感じもするし、だけれど、一向に悪化もしないし、咳が出るわけでも、関節が痛い訳でもない。食欲もしっかりある。あるのは、胸とみぞおちの痛みがたまにあるくらいで、あとは肩こりも感じているがそれ以外には特に何もない。実家に帰るといつも持病のアレルギー性鼻炎が悪化するので、まだ鼻づまりの症状はあるし、喉が痛いという訳ではないものの、喉の奥に何か痰のような粘っと引っかかるものが残っているように感じる。それ以外は、快調だし、集中しているときは疲労も感じない。疲れやすいというのはあるかもしれないが、仕事に行けない、ベッドから動けないというほど辛いものでもない。むしろ外へは行きたい。
食パンに、バターを塗り、トマトとハムとスクランブルエッグを挟む。それを切れ味のいいナイフで半分に切り分ける。サンドウィッチは工程が大切だ。ただ挟めばいいものであると同時に、具材をのせる順番を間違えるとそれは大きく味を変えることになる。特に、バターを塗ることは当たり前としてほしいくらいである。パンにバターをしっかりと塗ることで、食材が持つ水分があまり染み込まずにすむので、食感も残すことができる。サンドウィッチといえば、ニュージーランド、クライストチャーチで食べたサンドウィッチがぼくのサンドウィッチ歴史の中では第一位である。何度か違うところでも書いているような気もするけれど、カンタベリーチーズモンジェというチーズ屋さんがある。公園のすぐそばにある小さな街のチーズ屋さんである。中に入ると右側にお店の半分くらいを占めるチーズ庫があり、好きなチーズをその倉庫で見せてくれるのである。そこはサンドウィッチも作っていて、と言っても、紙に手書きで、「サンドウィッチ」と書いてあるだけである。
サンドウィッチにあうハード系のパンを焼いているだけで、日本や他の国のパン屋さんのようにサンドウィッチを作って用意している訳ではない。サンドウィッチありますか、と訊ねると、倉庫に案内されチーズを選ばせてくれるのだ。倉庫の中にはチーズおじさんがいる。今、チーズおじさんと聞いてぽちゃっとした白ひげのおじさんを想像した人は多いだろうが、彼は引き締まった体で、きちんとシャツを着て、目の奥には力があった。熱心にチーズの説明をしてくれた。どういうタイプのチーズが好きか、ハードか、ソフトか、ミディアムか、独特な香りのものか、クセが強いものか、ヨーロッパチーズか、フレッシュなさっぱりしたものか、など。その中から、ミディアム系のものを選び、サンドウィッチようにカットしてくれた。サンドウィッチは800円くらいだったと思う。パンを焼き、バターを塗り、チーズを挟み、チャツネを塗っただけのすごくシンプルなものだった。隣の公園に行き、ベンチに腰掛けた。隣接している私立高校の校庭を眺めながら(その学校の建築もまた良かった)、一口食べると、単純な見た目からは想像出来ないほどに豊かさがあふれ出した。犬の散歩している人たちが隣に座って、話しかけてきたり。あの7月の極寒(南半球なので真冬)の晴れた日に食べたチーズのサンドウィッチは最高だったなあ。その時の寒さは肌では思い出せないけれど、あのサンドウィッチの味は今でも思い出すことが出来る。
作ったアルミニウムで包み、ジップロックに入れる。朝食にトーストを食べる。7時半に家を出る。電車は少し混んでいる。日曜日だというのに、みんな早くからどこかへ出かけているみたいだ。8時半DSMG。
お昼に、サンドウィッチを食べる。日の当たる公園で腰掛け、食べていると、その瞬間、なんだか身体がふわっと軽くなり、今まで不安に感じていたことなどが一瞬で一気に何処かへ行ってしまったように感じた。死を恐れるよりも、生の躍動を感じるべきなのだ。COVID-19はとても怖い、おばあちゃんの死もとても悲しい。みんなあんな風に死んでしまうのである。いまだに信じられないのが現実である。だからと言って、自分はまだここに生が宿った一人の人間として存在しているのである。死を待つような生き方をするのか、生の躍動を感じながら生きるのか。