2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.5.6

Translate

2020.5.6

熱があるのか、起きた時に少し汗ばんでいた。体調が悪い気がするので、朝は散歩に行かず。散歩に行けないくらい体調が悪いのは少し怖いが、ただの風邪であれば自然と体から抜けていくはずだと思っている。ちょうどメッセージをしていたBiddi曰く、スクリーンの見過ぎではないかということだ。確かに言われると、1日にこれほどスクリーンに向かっている日々を過ごしているのも久しぶりである。ゲームをしていた頃と同じくらいかもしれない。一方で、ゲームばかりしていたことは、何も感じなかったのだけれど。老いだろうか。いろいろなことに敏感になっている。鈍感に豪快に生きたい。それがぼくの憧れなのだ。朝からカレーライスを食べる。カレーライスは、お肉が入っている方が美味しい。だけれど、片栗粉をいれると日本のカレーライス風になった。さらっとしたものもいいが、トロッとしたものも美味しい。昼は、カレーをラーメンにしてみる。学食などでよく食べたカレーラーメンである。懐かしい気持ちになる。学食のカレーラーメンの麺は美味しかった。今日食べたのは、乾麺なので印象が違う。今日は、なんだか全然集中力が続かないのでで、映画を観る。ジム・ジャームッシュ『PATERSON』、『3 idiots』(邦題『きっとうまくいく』)どちらもいい映画だった。笑いの重要性。夜は、突然嵐になる。カミナリの稲妻を100本くらいは見ただろうか。ゴジラのような風景だなと思う。鷲田清一先生は、コミュニケーションとは対話が終わったときに自分が変わる覚悟を持っている、そういう覚悟のもとで行われるもののことである、と述べている。日本におけるコミュニケーションの様相はそうではない。会社の人たちとミーティングしているとそう思うことが多い。自分を曲げないというとすごく聞こえが良いがそうではない。意固地である。日本政府なんてみているとまさにそうである。関西弁で「お前らスベってるで」と言ってあげたい。聖子ちゃんからトニーさんと喧嘩しているという話を聞く。いろいろなところで負の連鎖が続いているところにこの雷、なんだか地球を浄化してくれているようである。