2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.5.21

Translate

2020.5.21

朝は、6時に起床。聖子ちゃんから寝起きに電話があり、「怯えすぎだよ、放射能の時と同じ状態になってる。そんなに怯えてたらやらなきゃいけないこと出来ないよ。いろいろなことに惑わされて自分のするべきことをしないのは一番愚かだよ」と言われ、ふと自分が自分の世界だけで完結させてしまっていることを感じる。その瞬間、身体の怠さが一気に抜けた。
朝は、散歩には行かず。気温がかなり下がっているので、体調管理を徹底しなければいけない。怯えている場合じゃない。ラジオ体操第一と第二の映像に合わせて室内でラジオ体操。たった3分なのにこれがいい運動になる。よく考えられた体操だと動画を見て思う。第二はすごく難しい、ぼくはリズムに合わせることが出来ないので、ラジオ体操第二のようなリズミカルな体操には対応できない。8:30-DSMG在宅勤務
まだまだ、社会全体に在宅勤務に対して特別なことをしている印象があるし、同時に出勤しないと仕事が出来ない仕事も多いように感じている。ただ、今後のことを考えると出社して仕事をするのと同様に在宅勤務を捉えることが必要なのかなと思っている。
もちろん、ぼくたちのような商いをやっている人たちには、従来の仕事の仕方だと在宅勤務が難しいと思われるけれど、その中でどう仕事を変化させたり新しいリズムを作るのかが今後の課題にもなるし、面白さにもなるのではないかと思っている。苦境こと変化の時だし、何か新しいことをする時だとぼくは思う。苦しい時に何か真逆に進めるのかを真剣に考えて、行動しなければならない。
思考ができないけれど行動ができる人、思考は出来るがそこに行動が一致しない人、思考が出来てそれを実行できる人、思考も行動も出来ない人、しない人、いろいろな人がいるとは思うのだけれど、ぼくの場合はやっぱり思考出来ても行動それについていかないのだと自己嫌悪に陥る日々だ。度胸がなく、決断力や決意が弱いのである。ぼくが子供を育てるなら度胸のある子に育てたいと思う。度胸があればいろいろな問題はよくも悪くも解消される。決して解決されるわけではないと思うが、解消されるのは重要だ。
度胸とは何か。辞書を引くと、「どんな事態にぶつかっても、動じない心。きもったま。胆力」とある。どんな事態でも動じない心は皆が持ちたいものだろうし、ぼくはああだこうだと騒いでしまうたちなので、やはり度胸がないと言えるかもしれない。先日も、度胸がないという話になり、知人とぼくは度胸がないので困っているという話をしていると、「海外で野宿をしたり、ふらふらとしていたのにそれでも度胸がないと言えるのか」と言われた。そう言われると、ぼくは海外でお金もないのに何もせず、ふらふらとしていただけなのだから、その彼女からすると度胸があるのだけれど、それはぼくの中では度胸があるとは言いずらいのである。理由はなかなか説明に困るのであるが、後悔しないように生きていたという言葉が正しいのだろうか、いや、それも少し違うのだけれど、もっともっと簡単に言うと、単純に心が向く方向に進んでいると、その場その場で「度胸」といわれるものが必要なシチュエーションがたくさんあったというだけなのである。その瞬間には自分は度胸があるからそれを乗り越えたとか、度胸が足りなかったからそれを乗り越えられなかったとか思うわけではないし、今でさえ思い出すときっと度胸が必要だっただろう場面はいくつか思い出される。だけれど、「心を決めてエイっと行動する」のと、「気付けば度胸を試されるような、度胸を必要とする場所に立っていたの」では明らかに違うのである。ぼくは、前者の「心を決めてエイっと行動する」のが苦手なのである。ぼくはそれを度胸と呼ぶと思っている。気付けば度胸を試されるような、必要とされる場所に、誰だってそんな場所に行けば泣いてウダウダ言ってられないのである。そんな経験が多いか少ないかの違いである。ぼくには心を決めて行動するタイプの「度胸」が必要だ。
なんだか、考えすぎだので、膀胱炎のような症状になるが、リラックスしたのかスッと治る。
夜は、家でトンカツを揚げる。家で焼いたわりには悪くない出来になった。なかなか中までゆっくりと火を通すのが難しい。弱火で揚げるのだろうか。180度と書いてあったが、めったに揚げ物をしないものだから自分には正直なかなかわからない。そろそろ、とんきのトンカツが食べたい。緊急事態宣言が解除されるという話が出ていたのであるが、政府の発表によると、京都、大阪、兵庫は、緊急事態宣言が解除され、北海道、東京、神奈川、千葉、埼玉に関しては、解除見送りだということだ。個人的には、この解除もあくまで目安でしかなく、大きな問題は何も解決していないように思う。しかし、人々の精神的な部分への効果は大きいとみられる。痺れを切らしているような雰囲気も感じる。最初は、早く緊急事態宣言を発令しろとイライラしていたのに、今は緊急事態宣言を早く解除しろと訴える。国民が正しいのか政府の慎重姿勢が正しいのかはなかなか判断できないのだろうけれど、一つ言えるのはほとんど無政府状態だということである。政府への不満や不安感を持つ人はかなり多いし、政府の国民への要望、要請を聞いていない人はかなり大勢いるのだ。自分でしか自分を守ることが出来ない。ぼくも、そう思う。他人信じ、親のようになんでもやってくれると信じるのは大間違いである。おんぶに抱っこでは本当に話にならない。これは会社でも言える。