2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.4.8

Translate

2020.4.8

緊急事態宣言が発令して初日。9時からDSM。出勤はせずに、在宅勤務。部屋から見える高速道路も、街の音も、人の往来も激減したという風には感じない。実際、人は減っているのだろうけれど、見た所2週間の自粛要請の際とほとんど変化はないように見える。街の音や風景も人々の行動の変化と共に変化するのかと期待していたが、全くそうではないようだ。銀座のユニクロも短縮営業しているそうだ。なんだか何も誰も信じることができない。日本人が仕事を定時で終われないように、仕事と遊びを切り替えられないように、このような状況になっても切り替えることが出来ない。仕事だけを生きる糧にしている人たちにとって仕事のリズムが崩されることや、自宅からしか仕事が出来ない煩わしさはなんとも言えないのだろう。それに普段ほとんど家に帰らずに毎日仕事を敷いている人たちにとっては、家で家族と過ごすことが恥ずかしくて仕方ないのだろう。それで出勤する人たちもいるはずである。あくまでそれは想像でしかないが、もしそのような状況が起きているのであれば、ぼくは悲しくなる。ぼくにとっては在宅勤務は最高である。ランチを家で作るのも楽しいし、作っても時間に余裕があるので、椅子に座ってぼーっと目を瞑ることができる。今の所、お店が営業していないので、お店関係の仕事はない状態であるが、オンラインの立ち上げなどに関してはむしろ家の方が仕事が捗るといったところである。夕方、気分転換に砧公園に行く。家の近くに公園があってよかったと思う。このエリアで生活が完結してしまうのが理想的だなと思うのである。一点集中型のシステムはかなり危険である。これは10年以上も前から思っていることで、だから海外に出て色々な場所に、住める感覚を付けたかったし、実際、今のぼくにはその感覚はある。ミラノに、ムンバイに、どうしても住まなければならないのであれば移動する気持ちもある。ぼくは幸いなことに今住んでいる家が好きだし、光はたっぷり入ってくるし、料理も十分に出来るし、ただオーブンがないので、ケーキが焼けないことが問題である。それさえあればぼくはこの家や家の徒歩圏内で満足な生活をすることが出来る。家で仕事をしていると公園に散歩に行ったり、ランニングに行ったり、そのような切り替えがないと、ずっと仕事や作業をテーブルの上ですることができるし、時間をしっかりと区切ることで、気持ちを切り替える理由にもなる。9時になったら椅子に座り、仕事を始める。6時になれば終わり。その間に休憩が1時間半。朝のうちに朝食を食らい、日記を書き、9時に備える。休憩時間を利用するか、仕事が終わればランニングに出る。本を読む。そんなリズムのある生活を自分の身体に徹底的に染み込ませなければ家で仕事することは不可能である。もともと、ぼくの生活はそれと変わらないものだったので、ぼくはきっと家で仕事をするのに向いていると思う。この一ヶ月で世の中の何が変わるのか、どのような価値観が新しく生まれるのか、倫理観の変化はあるのか、そんなことを楽しみにしながら、思慮深く生きるためにぼく自身も深く自分と向き合いながら過ごしたいと思う。難しい問題にも見えるが実はとてもシンプルな問題でもある。エリック・ロメール『美しき結婚』を観る。要所で流れるロナン・ジルによる音楽が秀逸。CS放送のザシネマがオンラインを始めた。4月1週目からロメールの「喜劇と格言劇」シリーズを一作目から一本ずつ配信しているのだ。一週目は、『飛行士の妻』だった。ロメールを楽しみに一週間を過ごしていると言っても過言ではない。
デイビッドリンチ『大きな魚をつかまえよう』読み進める。