朝から、Kennedy magazineのChrisからアップしたと連絡があった。目を通し、Instagramで共有する。なんだか自分が書いたものが違う人の手を通じてウェブなり、紙面なりに掲載されるのは非常に心踊るなと久しぶりに味わう。展覧会や誰かが作品を買ってくださったりとかしたときも同じである。本当に嬉しい気持ちである。その気持ちを忘れてはいけない、期待をしてくれているのだから、その期待に反するような行動は本当に良くないのだ。期待に応えるのはいい作品を作り続けることである。きちんと発表する。写真を撮ることが多いが、何に違和感を感じているのかというと、絵画と写真の違いである。絵を誰でもかけるのと同じように数十年前に写真を誰でも撮れるようになった。それを作品とするか遊びとするか、学びとするかはもちろん色々である。そして、iphoneができて、InstagramやいろいろなSNSで写真を公開するようになった。美しい写真を撮るアマチュアはかなり増えたし、それが仕事につながるようにもなっている。楽しさや喜びになっているのはいいことだと思う。絵で言うところの写生会のようなものも存在する。いや、それは昔からかもしれない。ぼくが写真を撮るきっかけになったのは大学の研究の一環であり、文化人類学研究に必要だったからだ。ただ、なぜその際に写ルンですを使い出したのかは正直わからない。トレンド的な部分もあるのだろう。それが2011年なので、もう9年前だ。個人的に、同じ対象をずっと撮り続けるようなことが重要なのかと最近感じている。対象とは食べ物、野菜、とかそういうものではなく、still lifeのようなもの。いや、むしろy食べ物屋、野菜なんでもいいかもしれない。日々の中で何度も出てくるものを撮り撮り直し、絵画を感度も描くようにプラクティスするのがいいのかなと思っている。バルテュス『last studies』のような視点で撮影できないだろうか。一枚の写真を撮ることに対してぼくは安易になりすぎている、何枚も何枚も撮ってそれで一枚を作るという作業をするべきだ。わかりやすい偶然の!奇跡の!瞬間の一枚のようなものを写真は捉えると言う価値観から離れたい。一枚ずつの写真がビジュアル的な弱さとストーリー的な強度を持ち、目に見えないビジュアルの強さを得ることはできないだろうか。写真の問題ではなく、既にぼくの問題である。ぼく自身が自分の撮る写真に飽きているというのが事実かもしれない。それから、写真集がどうして数日間かけて読まれることがないのか、小説やエッセイであれば時間をかけて読むことができる。そのようなスピード感が現代の人の生活に合っているのか、漫画や写真集も同じだと思う。だけれど、その読書のスピード感に少し嫌気がさしているのが事実。しっかりと読み込む、ぼくたちが生きている現実世界からストーリーに入るまでに時間がかかるのだから、どっぷり入り込めるものを作りたい。そういった点で、やっぱり写真集とはいえ、Anders Edstrom『Hanezaw Garden』はぼくにとっては読書体験に似ているのだ。読書体験を写真集で起こすこと。6時半過ぎに散歩に行く。雨上がりなので、緑がとても濃い。5月は緑が美しいということを昔は知っていたはずなのに、この頃すっかり忘れいたようである。若葉が美しいのと、砧公園には色々な木が生えているので、色々な緑が生まれている。葉の形も違うので、光の当たり方も違い、光が生まれる。なんて美しいのだろうか。雨上がりで地面が柔らかいせいか、いつもの家族はいない。毎日彼らを見ることを楽しみにしている自分がいた。人間とはそのようなものである、何気ない日常の中にも何か変わらないものと変化を見つける。その対象がなくなった時には、既に依存しており、悲しささえ感じてしまうのである。今日もいつもどおり、1時間ほどゆっくりと歩く。また今日も新しいスポットを見つけた。そこに立つと急に公園に立体感が生まれるのである。ニュージランドのクライストチャーチのCanterbury cheese mangerというチーズ屋さんの隣にあった公園を思い出すようである。先日、砧公園はロンドンのハンプステッドヒースのようだということを言ったが、それ以上のぼくは毎回このニュージーランド、クライストチャーチの名もしらない公園を思い出すのである。2017年の7月にあの寒い中食べたチーズのサンドウィッチが忘れられない。Canterbury Cheese Mangerはぼくの記憶の中にあるチーズショップ、チーズエクスペリエンスの中で一番である。サンドウィッチを注文するとチーズ庫に連れて行かれ、チーズを選ぶ。その時、どんなチーズを注文したのかさえ覚えてない、ブリーとかカマンベール系の柔らか目のチーズだったような気がする。それとチャツネを自家製のチーズに合うパンに挟む。それだけなのにめちゃくちゃうまいのだ。ガランとしたスペースの真ん中に簡易のレジがあり、その奥にはパンを焼くオーブンがある。レジに向かって右側にチーズ庫がある。左手には飲み物とか、チャツネとかを販売している冷蔵庫がある。あったそれだけの簡素な作りだった。いや、簡素ではない、満足な作りである。チーズは、自家製の作っているものもあるが、輸入物も沢山とりそろえていた。