2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.4.25

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2020.4.25

6時に起床。起きてまず顔を洗い、歯を磨く。パジャマを脱ぎ、洋服を着替えて、例に漏れず散歩に出る。こうやってルーティンにすると起きなきゃいけないという強迫観念に駆られてしまうのが、ぼくなので、あまり自分の行動の多くをルーティン化したくはない。だけれど、何だか朝の散歩は気持ちいいので、つい起きれてしまうのだ。もちろん、季節もあるのだろう。今はパーカー1枚羽織れば散歩などに快適に行けるくらいの天気である。通常の春より少し寒い気がするのはぼくだけだろうか。砧公園に行くと、毎日決まって同じ家族がいる。ある家族はお父さんと息子が2人、3人でキャッチボールをしている。息子たちはゴロを処理してお父さんに投げ返すのを延々としている。弟はセカンドを演じているのか、お兄ちゃんの前で取ろうとするが大体においてお兄ちゃんに捕球させている。キャッキャと言いながらゴロを処理する練習をしている二人がぼくには中日の荒木井端の二遊間に見えてくるのである。お兄ちゃんの肩はなかなかいいようでショート向きの体の動きをしているようにも見える。またある家族は、お父さんと息子がサッカーボールを蹴り合っている。だが、いつみてもお父さんは口をゆすいでいるのか飲んでいるのかはわからないが、水道の水を触っている。息子はその横でずっとリフティングをしている。彼は中国のマフィアみたいな髪型でグレーのスウェット風のパンツを履いて、右足だけで延々とリフティングをしている。息子は毎日同じように同じことをしているので家に帰っていないのではないかと思うほどである。いや、家に帰っていないのではと思わされるのは他の家族も同様である。7時ごろに黒いフーディにブラックのリーバイス501にナイキエアフォースワンを履いたスケルトンの眼鏡をかけた少し風変わりな20代後半くらいの男性が公園を歩いて横切る。ゆっくりと心地よく歩いているようにみえる。彼は、公園の中にある舗装された道を決して歩かず、彼なりのオリジナルのルートを歩いているようにみえる。まず、公園に入って一つ目にある根っこが地面から盛り上がってきている大きな木を触り、何かをブツブツと言っている。その後、砧公園で唯一まだ桜の花を付けている木の下に行き、地面に落ちた桜の花びらを数秒見つめる。その時は何も言っているようには見えない。ただ、影を見ながらピースをすることがある。その後、大きな木が生えている辺りにいき、抜けている方向に向かってiphoneで写真を撮っているようだ。その時もよく地面を見ながらピースをしている、一体誰に向けてのピースなのだろうか。それともそれは誰かに向けた合図なのだろうか。考えれば無限と広がる可能性に恐怖さえ覚えてしまう。そのあと、彼は一つの太陽の光がたくさん降り注ぐ大きな木に抱きつくのである。ぽんっと叩き、何か話しているようにもみえる。こちらからは遠くて何を言っているのかは見えない。そのあと、もたれかかり、目を瞑っている。それが終わればこちらに向かってぼくたちがサッカーをしている隣を抜けて、桜の木をもう一度見て、野球をしている家族に優しい目線を送り帰っていく。そんな砧公園の朝7時である。11時頃、やっと太陽の陽が当たる。最近家にいる時間がすごく多いので、太陽の動きを体で感じることができる。ぼくの部屋にはもっと太陽の光が降り注ぐと思っていたけれど、決してそうでもないようで、4月に入ってからは、キッチンの方まで光が届かない。ベッドには相変わらずたくさんの光が届いているようである。冬は、太陽の日差しが燦々と注ぎ込むこの部屋にいて、クリスマスなんかは特に驚くほどの光が入ってくるのである。パソコン作業に没頭していると、時間の感覚を忘れてしまうことが多い。特に画像編集をやっているとああでもない、こうでもないと気付けば暗くなっているなんてこともあるくらいである。今日も朝からE-SHOP用の画像の編集などをやっていたらお昼に出る時間を逃してしまった。14時からランチブレイク。サクッと食べれるものをと思い、たくさんあるポテトと、ジェノベーゼでパスタを作る。もっと大きな冷蔵庫があれば、ぼくだって優雅な食事の時間を過ごせるかもしれない。いや、優雅さは心の余裕だからあまり関係ないか。とにかく東京に来てから、家にオーブンと冷蔵庫がないので、それがぼくの食生活に大きな影響を与えていることは間違いない。食後にエスプレッソを作る。これが最高である。コーヒーが美味しいとか不味いとかそういう話ではなく、ステンレスのエスプレッソカップをとにかく気に入っている。カフェインを出来るだけ取らないようにしているので、ディカフェのエスプレッソ。本当にディカフェなのかなと思うほどにしっかりとした濃いコーヒーである。気持ちよくて16時ごろから1時間寝てしまった。勤務時間中は、「仕事時間中はデスクに座って仕事の頭にすること」、「やることをどんどん考えていくこと」ということを守るようにしている。誰も見てないからいいのではなく、誰も見ていないから自分で自分自身を律することが必要なのだ。誰も見ていないときにどれだけやるべきことをすることが出来るか。決めたルールを守るか、それが大切だと思っている。人に褒められるために何かをするとか、自己顕示欲のためにしている行為は安易であり、陳腐だ。やっている感を出すというのは重要なのか、ぼくにはよくわからない。会社にいるとやっている感を出している人、やっている感だけで人間が出来上がってしまった人などもいる。そんな人とは言葉も交わしたくないと思ってしまうほどである。これまで順調にしていたにも関わらず初めて寝てしまった。昼食が遅かったせいか、日差しが気持ち良すぎたせいか、インターネットの調子があまりよくないせいなのか、理由はわからないけれどとにかく自分の決めたルールを破ってしまった。怠惰である。本来、ここに書く必要もないのだけれど、自分が自分で決めたルールを破ったことを秘めておくことが正しいとは思えない。こうやって50人くらいの人たちに読んでいただいている中で、自分の恥を晒すというのは、自分にとっても大切ではないか。起きて、仕事の続きをする。もちろん、寝起きなので、順調に進むはずもない。ラジオをつける。夜はタイカレーを作る。チキンがあるので、ナスと、パプリカ、ポテトを使ってグリーンカレー。食らう。いつもと違うペーストを使ったせいもあるのか、違う雰囲気を感じる。ニョクマムで味を調節。カレーを作り、玄米を蒸している間、エリック・ロメール『六つの本心の話』を読み進める。もう最後の章に取り掛かっていて、こんなに面白いのに残念だという気持ちになる。母方のおばあちゃんから電話があり、「ようこちゃんは元気か?」と。「ようこではなく聖子です。」と伝える。COVID-19でたいへんじゃないか?という来てみたところ「私は一人暮らしだから問題ない」という、「こういう時は家族といる方が感染しやすいでしょう」と。食事はどうしてるのかと聞くと料理をしないおばあちゃんは毎日自分が住んでいるマンション下のローソンで買い物をしているそうだ。毎日行くのは良くないんじゃないかというと、不思議なことにローソンの人と仲良くなったから宅配してくれるのだと。いつも新しい政治をしているおばあちゃんだなと感心する。ローソンで働き出した新人さんからは株式会社ローソンの偉いさんかと勘違いされたのだという。なかなか愉快なおばあちゃんだと思う。買い物好きと面倒みがいいのが高じて、よくぼくにもフルーツやら食べ物を送ってくれるのである。それが今は出来ないと悲しんでいた。80歳を超えたから私は大丈夫と言っていたが、高齢者の方が危険なのはわかっているのだろうか。それとも自分を高齢者だとは思っていないのだろうか。とにかくチョコレートの美味しい寒い国にいるようこちゃんが元気でよかったのだそうだ。色々と間違えているけれど、ここまで来るとその気持ちだけしか感じられなくなるのでより嬉しい。今日起きてから全く連絡がなかったチョコレートの美味しい国にいるようこちゃん、ではなく聖子ちゃんから電話があった。声が数日前に比べるとかなり元気になっていて一安心。落ち込んでいるというので少し心配していた。心配するのが恥ずかしくなるほど声には元気が感じられた。あれだけ落ち込んでいたのに、数日で元気になるなんて、女の子の気分というのは不思議である。24時に就寝。