2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.4.23

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2020.4.23

朝は6時台に起床。あまり眠れなかった。特に運動をしていないから眠れないのか、とかそういうことを考えているわけでもないが、なんだかふと夜中に目覚め、眠れなくなる。と思った瞬間に寝てしまうのがぼくでもある。
絶望に立つ楽観主義者みたいなものか。砧公園に散歩に行く。7時だというのに既に家族連れや、割とたくさんのランナーが走っている。家族でキャッチボールをしたり、ボールを蹴りあったりしているが、なんだか悲しい光景だなと思ってしまった。もちろん、外で遊ぶことは楽しいけれど、なんだか公園はスポーツをする場所だけではないよと思ってしまう。COVID-19の影響で公園には人が溢れているが、みんなただただスポーツをしているのだ。なんだか、日本人の公園での利用方法の乏しさに悲しくなってしまうのだ。ただ、そこにいるだけ、ごろっとして本を読んだり、音楽を聴いているだけ、陽を浴びているだけということもあってもいいのになと思う。公園にわざわざ行くのであればと、スポーツ用品店に行ってボールを買ったり、バットを買ったり、バトミントンを買ったりしているのか。決して海外が素晴らしいとは一概には言いたくないが、何もなくても楽しむ術を知っているのが欧米の人たちである。人間らしいと思うし、人間がそこには存在しいている。夏に海に行ってもそうだ。海に、ダイブするだけ、ただ泳ぐだけのために行くという感覚もない。海に行き、本を読む、水着になって泳がずに砂浜で時間を過ごすという感覚もない。ボールが必要で、浮き輪が必要なのが日本人である。政治や、今回の政府の選択を取ってもそう感じずにはいられない。この話はあまりしたくないので、秘めておく。お気に入りの木にハグをし、そこで10分間目を閉じる。出来るだけ何も考えずに陽の光と温度と風の音だけを感じるようにと試みたが、結局思考がどんどんと繋がり、止まらない。インターネットのようだった。関連していくのである。何から何に繋がったのか気付かないうちに違うことを考えている。それは、人間の元々の思考の動きなのか、それともそれがインターネット時代に思考の動きがインターネット的になったのか。どちらでもいいのだけれど、とにかく頭が真っ白になることはなかった。音に乗るという感覚に陥るまでにはまだまだ鍛錬が必要だ。ただ、かなりスッキリとする。光と温度を強く感じるし、ベースになっている音のようなものが存在した。砧公園は、風や鳥の鳴き声、木が靡く音、子供の声、ランナーの足音、野球をする親子のグローブにボールが収まる音、そんなもののベースになっているのが、車の音なのである。隣に首都高と環八が走り、車の音がない訳がない。COVID-19で自粛規制がかかっているにも関わらず渋滞が出来ているくらいの通行量である。常に、ズーっという音があり、そこには無音というものは存在しない。ニュージーランドの冬の雪山で車中泊をした時に感じた音のない世界とは全く比べ物にならない。雪が音を吸収するとよく聞くが、本当にそんな感じで、自分の存在さえも感じられないくらいであった。都市に住むぼくたちの耳はもう既に、家にいても室外機の音や常に動く続ける機械の弱い低音がこびり付いているだろう。それがいいのか悪いのかはぼくには判断できない。8時に帰り、入り口で服を脱ぎ、手を洗い、口をゆすぎ、うがいをする。うがいの方法として、口をゆすいでからうがいをしましょうと初めて習った。そうしないと口の中にある雑菌が喉の方まで行ってしまうのだという。だけれど、結局口から全て出すのだから一緒じゃないかなと思うが、そうでもないらしい。ラジオを付けInter fMを聴く。午前中のInter FMはガイ・ペリーマンさんがホストなのでずっと英語で話しているので、リズムが軽快である。やっぱり日本語に比べると英語の方がかなりリズムがいいなと感じる。英語で生活している方がリズムがいいと思う。メルボルンの時もオークランドの時もなんだかんだでリズムは良かった。バナナジュースを飲み、8時半からDSM(在宅勤務)。8時から13時までノンストップで進める。昼は、たらこのパスタを食う。先日、むすびガーデンに行ったので、冷蔵庫にたくさんの食材があり、計画的に消費している。ぼくの家の冷蔵庫は、かなり小さく、ミルクとチーズと、少し入れたらもう限界である。その中にうまく鶏肉やたらこなど、生で少し食べたくなるものを入れている。制限しながら使っているので、頭を使うし、なんだか冷静である。一気に大量に料理することもなくなった。それは時間があることも大きいかもしれない。食後にエスプレッソを飲み、チョコレートを食べる。仕事をもう少し進める。17時半終了。聖子ちゃんがかなり落ち込んでいるらしく話す。結局23時くらいまで話していたので、6時間くらい話す。元気がないのは珍しいので少し心配になるが、彼女は強いので、自分の力で何か解決策を見つけるとぼくは思っている。いつだって彼女は自分の力で進んでいる。自分がやっていることに自信がないし、こんな歳になって自分で何もしていないことに落ち込んでいた。ぼくからすると何もしていないようには見えないし、素晴らしいと思うのだけれど、今住んでいる家の家主であるイルセさんに真剣に話をされたのだという。この状況で、その場所に友人がいないことについて、どんな風に過ごしているかを見ているから余計に心配してくれているようだ。そんなお母さんのような人がいて嬉しい。聖子ちゃんのストレスにならなければいいと思うが。結局、最後は楽しそうに話をしてくれていたので、少しは元気が出たんじゃないか。あと1ヶ月ほどでANAの直行便が動くかもしれないということなので、それまでは待機するという。荷物も多いので、それが負担になるようなら、送ってしまったらどうかと言いたくなるが、今の現状そういうわけにもいかず。ビザを延長するという話をしていたが、それも落ち込んでいるのでどうなるのか。とにかく気分が落ち込んでいるようで、ぼくもどうにかしてあげたい。電話をしながら、フムスを作る。今夜は、ピタパンを作ろうと準備をしている。ナスと、きゅうりとフムスと、ジェノベーゼ。フムスは、Laila Goharさんがチックピーの皮をむいて作っていたらしく、それを聖子ちゃんから教えてもらい作ってみる。かなり滑らかなフムスができた。今まで、タヒニを入れすぎていたのかもしれないと思う。かなり美味しくて、パクパクと食べてしまうほどである。レモンを買い忘れたので、それだけが悔やまれる。ピタパンはむすびガーデンで買ったものを使うが、それが温めるといい感じに膨らみ、しっとりとするので、中に食材を詰めることができる。今日のピタはかなり美味しくできた。まだまだタヒニが残っているので、明日のランチもピタにしようと思う。明日は、チキンを使わないといけないので、蒸し鶏でも作るつもりである。お風呂に入ってお茶を入れる。そうこうしていると、久しぶりに日を跨ぐ。明日も6時起床で、砧公園に行って木に挨拶しなければいけないのだ。