2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.4.20

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2020.4.20

最近、お腹が出てきたように感じるので、朝はバナナジュースを食らう。200mlの豆乳をバナナ一本。甘さが足りなければハニーかメイプルシロップを使う。ミントティーを淹れる。8時半からDSM(在宅勤務)。午前中はかなり仕事が捗るので、8時半から13時までノンストップで作業をする。一緒に何かを進める同僚がいると言うのはかなり心強い。チームというのはいいもんだと思う。自分の気分だけで物事は進んでいないんだということを感じさせられる思いである。昼は、ラーメンを食らう。今日は朝方雨が降っていたようで、またとても寒いので温かいものが食べたくなり、買っておいた乾麺を使う。スープがうまく作れないので、コチジャン、味噌、秋田の安藤醸造のしろだしなどを使い辛いスープにする。辛く炒めたナスとゆでたまごを添えるとラーメンになった。今日もなんだか仕事が捗る一日。16時頃Rose Bakeryのクッキーを食らう。あまり好みではなかった。
洗濯をこまめにしている。理由は単純明快、手で洗うからあまりたくさんの量が洗えないからである。だけど、洗濯機を使わずに手で洗うのもなかなか楽しいものである。足と手を使ってしっかりと力を入れてするので、パソコンのキーボードばかり使って凝り固まっている手にはいい運動になるのである。揉む、絞る、握る、など単純な人の手が当たり前のように行ってきた行為は生活のどこかに残さなけれなならないとぼくは思っている。必ず、自分の思考と繋がっているのだ。一部が欠落すると大切な思考の一部も欠落すると思っている。同時に違う思考が生まれるかもしれない。ある記事をどこかで読んだのであるが、人間は脳をきちんと使えていないのだという。まだまだ出来ることはたくさんあるし、脳を使う方法はたくさんあるのだろう。しかし、脳は100%使ってもいいものかどうかもわかっていない。ラジオを聴いていると、なんだかリモートワークを恥じらいのように語る人が多いように感じるのだけれど、リモートワークとは何かということをいいう必要があるのだろうか。大切なのは概念ではなく、何をするかである。BBCやRRR、NTSなどいろいろな海外のラジオを聴いていても当たり前のようにやっているし、恥じらいを持って言い訳をするのが日本の文化だなと思っている。ぼく自身言い訳をできるだけしないようにはしているのだけれど、自分も言い訳をしてしまうこともある。素直に褒められない、褒められないれていないことも影響していると思う。それらのラジオを聴いているとすごく田舎のラジオ曲の感覚だなと思ってしまった。なんだか日本という国、特に東京は昭和で止まっているのである。新しいことは起きているのだろうか。そうふと気になる事が多すぎる。昭和の東京というものが、驚くほど強力な時代だったからそれに憧れを抱いている人は多いように感じる。平成というなんだか不思議な事がたくさん起きた時代に東京はあまりいい思い出が作れなかったのではないか。ぼくの印象としては、2002年くらいまでがピークなのかなと感じている。そのあとは、鬱々としているというかパッとしない。昭和の幻影に憧れ、昭和の恩恵を受けて来たのだ。いまだにコムデギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイミヤケが日本のファッションの代表であるかのように捉えられる風潮はありえないし、安藤を代表する近代建築が、いまだに代表的なのである。もちろん世界的にも見て建築において近代建築が素晴らしい時代だったのだろうが、それでもなんだか昭和の建築家という印象を受ける人たちが第一線にいるのはなんだか情けない。政治家もそうだ。安倍首相はもう70歳近いし、周りの人間たちもおじいちゃんばかりである。アメリカもそうかもしれない。トランプは70歳を超えている。他の国を見ていると、いいか悪いかは別として若い人や女性が国の代表として先頭に立っている。そうやって変化していくのが社会の在り方なのではないか。人生100年時代とかいうが、それが何だというのか。100年生きてもきちんと思考と行動がそこについてこないのであれば、ピークの年齢を考え直すべきである。100歳まで生きれるから80までチームのトップで仕事が出来るというわけではない。facebookで流れて来た医師の言葉を読んだり聞いたりしていると、「自分は無力でしかない、自分に唯一できることは家に籠ることだけである。人が家に籠るように、人が家に籠るのを苦だと思わないようにしなければらない。」と思わされた。自分には、何が出来るだろうか。1日でも長く人が飽きずに家の中で集中出来るようにしたい。作品を作る。昨日、聖子ちゃんと話していて、写真集はほんの数十分で見終えてしまうが、小説やエッセイ集などは数日かけてゆっくりとする事が出来る。時には読んでいるのか、考えを巡らしているのかすらわからなくなることもある。自分はコメンテーターになるべきではない。問題をピックアップし、否定するだけの人間であるべきではない。誰もがそのような感覚に陥る今だからそこ改めて自分の状況をきちんと知るべきである。知らないことにああだこうだと口出しをしない、口出しをしたければ偏りなく広い視野を持ち、考えてから発言する。今できるのは家にこもり、時間を作ることだけなのだ。至ってシンプルである。研究者たちは僕たちが思う以上に賢いので、きっと抗生物質を作り出してくれるはずである。それには時間が必要なのだ。医療さえ安定していれば、死者が増え続けることもない。もちろん、0になるのが理想だが、それはどんな病気になっても同じである。日々、風邪を引いても薬を飲まない人はこのCOVID-19でもあまり変わらないのではないか。人工呼吸器を使うなどもちろんあるが、日々自分の免疫力に頼って生きている人は、その態度で、無理なら死ぬまでかもしれない。もちろん、最後には効果的な薬があるからと思うだけで、心が救われるので、自分の免疫力で解決しようと思っているのかもしれないが。パスカルは、人は死ぬことを恐れてその準備に追われて憂鬱に生きていると言っていた、すべての死が突然死であればその不安の多くは解消される。夜は、和食。缶詰のサーディンを食らう。パスカル『パンセ』を読み進める。今日もwifiが切れ、映画が見れず。仕事の日は仕事が優先で仕方ない。救急車の音を毎日聴いているので、少し複雑な気分になる。