2100年の生活学 by JUN IWASAKI : 2020.4.15

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2020.4.15

9:45-DSM。久しぶりに銀座に出勤。8時20分に家を出て、9時31分にタイムカードを押した。今日は、BIBLIOTHECA E-SHOPの立ち上げなので、銀座へ出勤する。途中、霞が関を通るのだが、異常な人の数と、黒のスーツに白いマスク率100%の光景が、恐怖を感じさせた。信号待ちで、みんな同じ方向を向いているのが不思議でたまらなかった。異常だと思う。この光景を見た自分はそこにいたのだと思うとゾッとするし、それを平気でしている人たちがいて、それをさせてる社会があって、その社会の一員にぼくが存在していることも悲しくなった。あれは人ではなく、自分たちの何か思考や行動のメタファーなのでしかない。そう思ってしまった。一人ひとりに個性があるとか、個性を消すとか、暗黙の了解がとか、社会的圧力がとか、そういうものも全てひっくるめたイメージが具現化されたものである、 自分と自分たちのアティテュードの象徴なのだ。あれを作り出しているのは自分自身である。三越の駐輪場に駐輪する。2時間までは無料で、その後4時間ごとに100円。10時間いると200円という計算になる。ということは、出勤が月に大体20−25日だから単純計算すると、毎日自転車で出勤するとなると月に5000円ほどかかるというわけだ。少し悩ましい。ただ今の状況で毎日電車に乗って出勤できるというわけもないだろうから(自分のメンタル的な意味合いで)、仕方ないが、そうするしか方法はないかもしれない。
なんだかんだ忙しく、14時過ぎにお店を出る。井泉を覗いてみると営業していた。階段を登り、前まで行ったが、一歩踏み出せず、帰る。今月いっぱいで閉店してしまうので、今日がラストチャンスだったかもしれない。それにも関わらず、行かなかった。行くことができなかった。薄情者だと言われても仕方がないのかもしれない。だけれど、美味しい食事と心地よいサービスは健全な精神に宿る。そう思うしかない。もし今日行って食べていたとしてもぼくには美味しく食べられたかは不明である。そのくらいギリギリの精神力で銀座にいたのだ。帰り道、東京タワーを観ながら帰る。やっぱり虎ノ門あたりの風景はなんとなく好きだ。六本木で、ブリコラージュに寄り、ブリコラージュブレッド(カンパーニュ)を購入。ここは、海外のお客様が多いからか、ソーシャルディスタンスを守るようパーテーションを引いたり、人数制限をしたり、アルコールを入り口、レジ、出口に置いたりして対応していた。しっかりとした対応だけれど、これくらいやってもお客さんは平気で肩を並べてコーヒーを飲んでパンを食べていた。否定はしないけれど、感染を拡大させない一人一人の努力こそが、今は大切なのかなと思う。今頑張って、落ち着けば経済なんてすぐに取り戻せるだろう。これまでの歯車に戻そうと必死になるよりも、新しい形に変えていくことも大切なのではないかと思う。未来は先輩たちの手にあるのではない。失礼な言い方だけれど、彼らは先に死ぬのである。そこで残された僕たちや下の世代は、誰にも言い訳もせず、その現場を生きるしかないのだ。それを作るのはぼくたちなのだ、先輩たちではない。70歳の人たちが決断する、社会に本当に未来はあるのだろうか。それだけが不安でならない。もうニュースは見ないから何が起きているのか知らないけれど、ぼくは自分の力で生きていくしかないのだ。どうやってでも死なずに自分の生を全うする。それがぼくが祖先に対して出来ることである。何のために生きているのか、なんてわからないけれど、唯一自分の身体は自分で作り出したものではない。もちろん、成長の過程で、何を見て何を考え、何を食べて、どうやって生きてきたのかで、自分の身体は大きく変化するが、まず作り出された背景には歴史がある。実家の巻物を見たときに、聖武天皇から名前が続いているのだ。別にそれが由緒正しき家系だとかそういう話ではなく、それだけのレイヤーが自分の中に存在し、それだけの生と死がぼくの身体形成においてなされたということなのである。帰り道、麻布の交差点で、buikでカナさんが働いているかなと思いたち、覗いてみる。案の定ケーキを焼いていて、窓越しで話す。 ついでに準備中のケーキとクッキーを買う。ヨーロッパ人の自由さと判断の速さ、こういうときになるとみんなでしっかりと足並みを揃えることができる素晴らしさについて話していた。まさに同感である。日本ではなぜそれが出来ないのだろうか。普段自由がないのに、足並みを揃えるとなると、それが出来ない。buikは早くからお店を閉める決断をしており、もうすでに2週間ほど休んでいる。聖子ちゃんは決断が早いと感動していたし、今レシピを無料でシェアしているのだが、それにも感動したと言っていた。ケチな日本人とは大違いだと。今日は買い出しの日と決めていたのでむすびガーデンに立ち寄るも、水曜日定休だったことをすっかり忘れていた。仕方なく、オーケーに行く。異常なくらいに混んでいた。渋谷や銀座が空いていたとしても、ローカルエリアがこれだけ密集してしまうと意味がないとしか思えない。東京の人々がどれだけ一点集中型の生活をしているのかが今回よくわかる。日々、用賀に住んでいても渋谷や表参道で遊んでいるのだ。ローカルで遊ぶという感覚がないものだから、ローカルであれば外出していいという感覚になり、結局かなりの人が出歩いている。もちろん、外出禁止ではなく自粛のため、何も言えないが、なんだか不思議である。
ぼくが1週間家からエクササイズ以外出てなかった間に何が起きているのだろうか。本当に不安でならない。みんなが一斉に努力をしないことにはこの状況がダラダラと長続きするとしか思えないのである。努力が長続きするか、それがもう限界に来るのか。長期戦になるとかなり苦しくなるとしか思えないので、なんとかいい加減真面目にみんな外出を控える努力をするべきである。それから、レジカウンターにビニールを巻いていたが、かなり汚くてこんなところで買い物をしている自分に少しげんなりした。当分オーケーにはいかないと思う。むすびガーデンのような理解のある場所でないと買い物が出来ない。精神的にキツい。山中伸弥教授のホームページに、散歩やランニングは一人でするべきだと書いてあった。散歩は4m、ランニングは10m離れる必要があるらしい。メルケル首相の演説の写真もホームページ上に掲載されていたが、きちんと距離を置き話していた。なんだかあんな画像で安心できるのだから不思議である。久しぶりにめーちゃんから連絡があり、少しチャットする。なんだか懐かしい大好きな友人と連絡できることはいいことだなと思う。イカした老人になって一緒に遊ぶことを約束する。