一日結構不安でたまらない一日。
前日うまく寝られなかったので、9時ごろ起床。それからあれこれしないといけないとは思いつつ何もせずに昼になった。日記も書けていない。パソコンとiPhoneのデータ移行をしていたくらい。ベーコンがあったので、ベーコンとニンニクとポテトを使ってパスタを作る。まず、ポテトの皮を剥き、親指くらいのサイズに小さく切り分け、水をはった鍋に放り込む。柔らかくなるまで茹でる。茹で過ぎでも大丈夫、結局グツグツになっている方が使い易い。de buyerのフライパンにオリーブオイルを入れ、皮を剥いたガーリックを右手のひらで潰し、チリを入れ火にかける。アーリオオーリオ。ベーコンを使ったパスタを作るときは、ベーコンから油が出るので、オリーブオイルは少なめにしておくことがポイントだと昔働いていたイタリアンレストランのシェフに言われたことがある。ある程度火が通ればベーコンを炒める。ベーコンから油が出て、表面がカリッとしたところで先に茹でておいたポテトを入れて一緒に火にかける。横に置いておく。
大きな鍋に沸かしておいたお湯に一番安い沖縄の塩を一掴み入れる。パスタの塩はみんなが思っている以上に大切なのだ、ある前髪のある女性が、常に鏡を見るたびに前髪の調節をしている。それを見て多くの人はいうだろう、それだけ触ったって次の一歩を進めた時点でもうその前髪の雰囲気は変化するんだからそれほど調節をする必要ない、と。彼女にとってはその一瞬のパーフェクトな瞬間こそが世界であり、次の一歩が進んだ時に変化する髪型などは気にならないのである。というようなくらいパスタの塩は重要なんだよと言おうとしたが、あれとこれは全くの別物であると今思った。とにかくパスタの塩は、重要だ。塩がないとパスタを茹でるお湯にならない。炭酸が入っていないジンジャエールを想像できるだろうか。出来ないでしょう?それと同じもの。よし、次の例えは割とうまくいったんじゃないか。
そうやって気付けばパスタは全てぼくのお腹の中におさまっているのだ。
14時頃起き抜けの聖子ちゃんと電話して、少し元気が出たからか、15時過ぎに家を出て関東中央病院へ向かう。出たというか出れたという感覚に近い。今まであまり感覚的に今日ほどはっきり認識したことはなかったけれど、家から出れるという感覚。何かに取り憑かれたように動けなくなり、トイレでパニックになった。また、身体の背中辺りから肩の付近にかけてじんわりと汗をかき、閉鎖感を感じた。一度、そのモードに入るとなかなか戻ってくるのが難しいという感覚。そのスイッチというか、ピンボールでいうフリッパーのような、心臓の弁のような見た目をしたもの(写真でしか見たことない)が一度外れるとそれを戻すのが難しくなるのである。
休職するにあたり、会社から診断書の提出を求められた。会社とはとてもしっかりしているなと改めて感心する。まあ、ぼくだって税金を払っているのだから、困った時に少しくらいは頼ってもいいんじゃないかと思った。一方で、すごく自分で会社のシステムに嫌悪感を感じているのは、何か体の不調を感じている人が、会社を休むために辛い思いしてまで診断書をもらう必要があるのかということ。口約束で「そうだね、体調悪いから休んでよ。」という風にはならない。もちろん、書類による審査などたくさんの事情があるのだろうけれど、それでも「診断書もらって来てね、提出してください。」というのはどこか不快さを感じてしまう。税金は簡単に払えるのに、何か頼りたい時に、税金で免除させてもらえるときはなかなかややこしいシステムである。いつものぼくなら「そんなバカな拝金主義的なことはやってられるか、金なんかいらねえ」とやっていたところだけれど、今回は頑張っている。ある意味めんんどうなことをやることに慣れて来たということだろう、少しは成長している。
とにかく、休職中に、お金をもらうことは、どこか拝金主義的感じも受けるが、それ以上にきっちりとことをするというのは重要なのだと今は思っている。そこにシステムがあり、これとこれとこれを揃えて、提出すると、こうなる、というようなきっちりとことを進めるためには必要な何かがいる。
小さく一見めんどくさそうな、気が乗らないことをきっちりとやりきる、終わらせることを癖にしていかないと大人になった時にすごく大変な思いをしそうだなと感じている。自分の弱さは、何かにつけて投げ出したり、何も調べずにめんどくさがったり、気が向かないと何も出来なかったり、そういう部分なので、出来るようになりたいと思い、会社に入ったのだったと少し思い出した。
関東中央病院で、8月に緊急外来に行った際に受けた検査結果の診断書を出してもらうことにした。が、呼吸器内科で、異常はありませんでしたという診断書が何をどう助けてくれるのだろうか。ちゃんと精神科だとか心療内科に行った方がいいと彼女から言われるが、今はパニックになるので、あまりきつく言わないでほしい。自分は、病名などを言われるとぼくは今うつ病を患っているんだ、とかぼくは今インフルエンザなんだから安静にしないと(人がいるときはインフルエンザなんだからみんな優しくして)、と思い込んでしまうタイプなので、不安である。今、自分が何か不安障害とか鬱だといか言われると本当に戻ってこれないような気がしている。すぐにストッパーが外れてしまいそうな気がしているので、怖いのだ。帰って、30分ほど昼寝をして、表参道に出て、shozo coffeeでスコーンを買う。ナチュラルハウスで、ナスと卵とトマト、豆苗などを購入。表参道の交差点にある入り口から地下へおり、半蔵門線で渋谷へ。銀座線に乗るか、半蔵門線に乗るか悩んだが、渋谷ストリームの出口に出たかったので結局半蔵門線へ。銀座線の出口はどうにかならないものか。2020年のオリンピックに向けた工事のせいで毎回場所が変わるので、乗る気がなくなるのだ。きれいになるのは、いいけれど工事に数年かけて何年間その場所が使いやすくなるのだろうか。歩いて、フォートウエノへ行く。フィルムを二本現像に出す。ついにという感じである。いい加減に進めましょう。色々なことに気が乗らない。また、渋谷駅に歩いて戻り、往復で2,30分もかかるので、どうにかしたいものなのだけれど、、、、どこかいい現像ラボはないものか。それにしても突然日が短くなった。少し前まで18時半が日の入りだったのに、今は18時が日の入りになっている。フォートウエノから渋谷駅に向かって歩いている時にみた紺色の空が忘れられそうにないほど美しい色をしていた。高層ビルの隙間から見えた、下にゆくにつれてトーンが変化する空はなんとも言えない色をしていた。どうにかああいう光景を写真に収めたい。記録したい。
家に帰り、ショウアップナイターを聴きながら人参とナスとポテトをローストする。セージを入れてみる。クスクスを作る。コリンキーのラペ。豆苗のサラダ。ワインを飲んで寝てしまう。
起きると23時頃で、村上さんから「今日なしですか?」連絡が入っていた。道玄坂の中腹にあるcontactと表参道駅前にあるventに踊りに行こうという約束をしていたのだった。急いで起きて準備をして、24時前の電車に乗り込み、渋谷駅へ。
前日うまく寝られなかったので、9時ごろ起床。それからあれこれしないといけないとは思いつつ何もせずに昼になった。日記も書けていない。パソコンとiPhoneのデータ移行をしていたくらい。ベーコンがあったので、ベーコンとニンニクとポテトを使ってパスタを作る。まず、ポテトの皮を剥き、親指くらいのサイズに小さく切り分け、水をはった鍋に放り込む。柔らかくなるまで茹でる。茹で過ぎでも大丈夫、結局グツグツになっている方が使い易い。de buyerのフライパンにオリーブオイルを入れ、皮を剥いたガーリックを右手のひらで潰し、チリを入れ火にかける。アーリオオーリオ。ベーコンを使ったパスタを作るときは、ベーコンから油が出るので、オリーブオイルは少なめにしておくことがポイントだと昔働いていたイタリアンレストランのシェフに言われたことがある。ある程度火が通ればベーコンを炒める。ベーコンから油が出て、表面がカリッとしたところで先に茹でておいたポテトを入れて一緒に火にかける。横に置いておく。
大きな鍋に沸かしておいたお湯に一番安い沖縄の塩を一掴み入れる。パスタの塩はみんなが思っている以上に大切なのだ、ある前髪のある女性が、常に鏡を見るたびに前髪の調節をしている。それを見て多くの人はいうだろう、それだけ触ったって次の一歩を進めた時点でもうその前髪の雰囲気は変化するんだからそれほど調節をする必要ない、と。彼女にとってはその一瞬のパーフェクトな瞬間こそが世界であり、次の一歩が進んだ時に変化する髪型などは気にならないのである。というようなくらいパスタの塩は重要なんだよと言おうとしたが、あれとこれは全くの別物であると今思った。とにかくパスタの塩は、重要だ。塩がないとパスタを茹でるお湯にならない。炭酸が入っていないジンジャエールを想像できるだろうか。出来ないでしょう?それと同じもの。よし、次の例えは割とうまくいったんじゃないか。
そうやって気付けばパスタは全てぼくのお腹の中におさまっているのだ。
14時頃起き抜けの聖子ちゃんと電話して、少し元気が出たからか、15時過ぎに家を出て関東中央病院へ向かう。出たというか出れたという感覚に近い。今まであまり感覚的に今日ほどはっきり認識したことはなかったけれど、家から出れるという感覚。何かに取り憑かれたように動けなくなり、トイレでパニックになった。また、身体の背中辺りから肩の付近にかけてじんわりと汗をかき、閉鎖感を感じた。一度、そのモードに入るとなかなか戻ってくるのが難しいという感覚。そのスイッチというか、ピンボールでいうフリッパーのような、心臓の弁のような見た目をしたもの(写真でしか見たことない)が一度外れるとそれを戻すのが難しくなるのである。
休職するにあたり、会社から診断書の提出を求められた。会社とはとてもしっかりしているなと改めて感心する。まあ、ぼくだって税金を払っているのだから、困った時に少しくらいは頼ってもいいんじゃないかと思った。一方で、すごく自分で会社のシステムに嫌悪感を感じているのは、何か体の不調を感じている人が、会社を休むために辛い思いしてまで診断書をもらう必要があるのかということ。口約束で「そうだね、体調悪いから休んでよ。」という風にはならない。もちろん、書類による審査などたくさんの事情があるのだろうけれど、それでも「診断書もらって来てね、提出してください。」というのはどこか不快さを感じてしまう。税金は簡単に払えるのに、何か頼りたい時に、税金で免除させてもらえるときはなかなかややこしいシステムである。いつものぼくなら「そんなバカな拝金主義的なことはやってられるか、金なんかいらねえ」とやっていたところだけれど、今回は頑張っている。ある意味めんんどうなことをやることに慣れて来たということだろう、少しは成長している。
とにかく、休職中に、お金をもらうことは、どこか拝金主義的感じも受けるが、それ以上にきっちりとことをするというのは重要なのだと今は思っている。そこにシステムがあり、これとこれとこれを揃えて、提出すると、こうなる、というようなきっちりとことを進めるためには必要な何かがいる。
小さく一見めんどくさそうな、気が乗らないことをきっちりとやりきる、終わらせることを癖にしていかないと大人になった時にすごく大変な思いをしそうだなと感じている。自分の弱さは、何かにつけて投げ出したり、何も調べずにめんどくさがったり、気が向かないと何も出来なかったり、そういう部分なので、出来るようになりたいと思い、会社に入ったのだったと少し思い出した。
関東中央病院で、8月に緊急外来に行った際に受けた検査結果の診断書を出してもらうことにした。が、呼吸器内科で、異常はありませんでしたという診断書が何をどう助けてくれるのだろうか。ちゃんと精神科だとか心療内科に行った方がいいと彼女から言われるが、今はパニックになるので、あまりきつく言わないでほしい。自分は、病名などを言われるとぼくは今うつ病を患っているんだ、とかぼくは今インフルエンザなんだから安静にしないと(人がいるときはインフルエンザなんだからみんな優しくして)、と思い込んでしまうタイプなので、不安である。今、自分が何か不安障害とか鬱だといか言われると本当に戻ってこれないような気がしている。すぐにストッパーが外れてしまいそうな気がしているので、怖いのだ。帰って、30分ほど昼寝をして、表参道に出て、shozo coffeeでスコーンを買う。ナチュラルハウスで、ナスと卵とトマト、豆苗などを購入。表参道の交差点にある入り口から地下へおり、半蔵門線で渋谷へ。銀座線に乗るか、半蔵門線に乗るか悩んだが、渋谷ストリームの出口に出たかったので結局半蔵門線へ。銀座線の出口はどうにかならないものか。2020年のオリンピックに向けた工事のせいで毎回場所が変わるので、乗る気がなくなるのだ。きれいになるのは、いいけれど工事に数年かけて何年間その場所が使いやすくなるのだろうか。歩いて、フォートウエノへ行く。フィルムを二本現像に出す。ついにという感じである。いい加減に進めましょう。色々なことに気が乗らない。また、渋谷駅に歩いて戻り、往復で2,30分もかかるので、どうにかしたいものなのだけれど、、、、どこかいい現像ラボはないものか。それにしても突然日が短くなった。少し前まで18時半が日の入りだったのに、今は18時が日の入りになっている。フォートウエノから渋谷駅に向かって歩いている時にみた紺色の空が忘れられそうにないほど美しい色をしていた。高層ビルの隙間から見えた、下にゆくにつれてトーンが変化する空はなんとも言えない色をしていた。どうにかああいう光景を写真に収めたい。記録したい。
家に帰り、ショウアップナイターを聴きながら人参とナスとポテトをローストする。セージを入れてみる。クスクスを作る。コリンキーのラペ。豆苗のサラダ。ワインを飲んで寝てしまう。
起きると23時頃で、村上さんから「今日なしですか?」連絡が入っていた。道玄坂の中腹にあるcontactと表参道駅前にあるventに踊りに行こうという約束をしていたのだった。急いで起きて準備をして、24時前の電車に乗り込み、渋谷駅へ。